人類学者によるメディアの活用:飯田卓「昭和30年代の海外学術エクスペディション」(2007)

飯田卓「昭和30年代の海外学術エクスペディション――「日本の人類学」の戦後とマスメディア」『国立民族学博物館研究報告』31(2)、2007年、227–285頁。
http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/handle/10502/3327
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 昭和30年代(1955–1964年)という時代は、1950年代の映画産業の絶頂、1953年のNHK開局、1960年のテレビのカラー放送開始など、戦後マスメディアが大きく発達した時期であった。この時期はまた、不自由な研究環境下にあった人類学者にとっては、いかに調査を進めていくかに悩まされた時期でもあった。本論文はこのような時期に着目することで、発展途上にあった新聞・映像メディアを人類学者が活用し、自らの研究を進めようとしたことを明らかにするものである。
 戦後、いまだ海外での学術調査が自由におこなえなかったとき、研究者たちはメディアから支援を受けることで海外調査を行おうとしていた。人類学における海外エクスペディションの先鞭をつけたのは、1952年の日本山岳会によるマナスル山初登頂であった。その後、大学や研究所が主導する学術調査が活性化することになるが、これら調査には決まって新聞記者などが同行することになっていく。たとえば、マナスル登山にも参加した京都大学今西錦司らのカラコラム・ヒンズークシ学術調査(1955年)や東京大学イラク・イラン遺跡調査(1956年)などは、メディアとの協力関係の上に進められた海外調査であった。このような協働に際してのアカデミア側の思惑としては、国民にあまり知られていない自らの研究の意義や現地報告をメディアを通じて広報することにあった。さらに梅棹忠夫は、1955年の京大の調査に基づく記録映画「カラコラム」のヒットを受け、メディア利用によって調査資金の足しになりうることを隠さず述べている。一方のメディア側も自らの利益に即して、学術調査に相乗りした。たとえば新聞社は「ニュース記事」として同行する調査隊の一挙手一投足を記事・写真を載せたり、調査隊が持ち帰った遺物(研究者は「みやげ」と呼んでいた)の展示会・写真展などを開催したりすることで、新規読者の開拓をもくろんだ。また映画会社は、イギリスの調査隊によるエベレスト・エクスペディションの映画「エヴェレスト征服」が1954年に国内で爆発的にヒットしたことを受けて、このテーマの商業価値を確信し、調査への資金援助をおこなった。実際、日本山岳会の第一次マナスル登山(1953年)に同行した毎日新聞社は、翌年に「白き神々の座」(配給:日活)としてその調査の様子を映画化し、同映画はブルーリボン賞を受賞している。その後、各大学・調査団の主催する海外調査には記者が必ず同行し、1960年の明治大学アラスカ学術調査団に関する映画「マッキンレー征服」(おそらくこれが最後の長編記録映画である)に至るまで多くの映画が製作された。
 しかし、1963年を契機に人類学者による海外エクスペディションはメディアとの距離をとるようになっていく。その背景には、1964年4月の海外旅行自由化に伴う、外貨割り当て制の撤廃があった。1963年以前は、大蔵省が外貨の量を制限していたため、海外渡航時に使用できる金額の上限が大蔵省によって割り当てられていた。その割り当ては学術研究や政治・外交などが優先的に充てられたため、多くの国民は海外旅行などをおこなうことなどできなかった。しかし、外貨割り当てが撤廃されたことにより、学術研究であれ、観光目的であれ目的にかかわらず、国民は自由に旅行できるようになった。そのため、メディア側としてはそもそも目的の異なる学術調査に相乗りする必要性もなくなり、独自に海外へ取材へ赴くようになったのである。一方のアカデミア側においても、外貨割り当て撤廃の結果、文部省が自由に海外調査への予算割り当てが可能になったため、海外調査にかかる資金的なハードルが一気に低くなった。しかし、アカデミアとメディアの協働が全くなくなったというわけではなく、部分的にはその協力関係は継続させられた。ただし、その主体となるメディアは映画からテレビに取って代わることになった。その背景には、1960年前後のテレビの普及および映画産業の陰りがあった。テレビでの放映を前提としたエクスペディションとして、たとえば、1963年から新体制となった京都大学のアフリカ学術調査(隊長は今西錦司)に基づいた「ジャンボ・アフリカ」(TBS系列)という番組が1964年4月から数カ月にわたって毎週30分放送された。

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