対馬藩と人参貿易:田代和生『近世日朝通交貿易史の研究』(1981)
田代和生「第13章 人参の国内販売」『近世日朝通交貿易史の研究』創文社、1981年、383–399頁。
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江戸時代における日朝貿易は、別名「人参貿易」として知られていたように、朝鮮から薬種の一つである朝鮮人参を多く輸入し、その買入資金として多額の銀を毎年支払っていた。その貿易の独占していたのが対馬宗家であり、そのため幕府に対しては強気な態度を取ることが出来たし、幕府側も朝鮮人参の重要性から対馬藩には最大限の配慮をおこなっていた。たとえば、貞享3(1686)年に幕府は日朝貿易における初めての規制として、貿易額を定額にする旨を対馬藩に通達したが、対馬藩は日朝貿易が人参供給の貴重なルートであるために銀の輸出を制限すべきでないとを強く反発した。その後、元禄13(1700)年に幕府は交易高を従来の金18000両(銀1080貫目)から金30000両(銀7800貫目)へと引き上げ、さらに貿易資金として対馬藩に金30000両が交付し、対馬藩への配慮をおこなった。その資金は返済する義務があったが、結局返済はかなり引き延ばされていたようである。その後、享保年間(1716–1735年)に吉宗によって朝鮮人参の国産化が進められると、「人参貿易」の意義は相対的に低下していく。たとえば、これまでは貸し付けの理由として、人参を輸入するための資金として述べられていたが、次第に対馬藩の財政窮乏のためという理由に変わっていったのであった。
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