人類史のための科学史・医学史:Sarton "Second Preface to Volume XXIII"(1935)

 サートンが1935年におこなった医学史に対する批判を読みました。最近、サートンの文明史(あるいは人類史)の構想についての研究論文をいくつか読みましたが、それを踏まえると、サートンのやや単純にも思える図式が理解出来る気がします。

George Sarton, "Second Preface to Volume XXIII: The History of Science versus the History of Medicine," Isis, 23, 1935, pp. 313–320.

 本論文は、サートン(George Sarton, 1884–1956)が医学史に対する強い批判を述べたものとして有名である。彼が論文を執筆した1935年時点では、科学史よりも医学史の方が研究機関は充実していた。早くは1905年にズートホフ(Karl Sudhoff, 1853–1938)がドイツ・ライプチヒ大学の医学史研究所に着任しているし、そのポジションを引き継いだシゲリスト(Henry Sigerist, 1891–1957)は、1932年にはアメリカに赴き、ジョンズ・ホプキンス大学に体系的な医学史研究をもたらした。このように医学史には研究機関がある反面、科学史にはいぜんとしてそういった機関が存在していない。では、このことをもって、医学史は科学史の中でもっとも成功している、あるいは科学史の中心的な一分科であると言えるか。そうではない、とサートンは述べる。というのも、医学からは大衆がしばしば利益を受けるし、医師が伝統的にエリートのポジションを独占していたため、社会に対する訴求力をもつが、科学は必ずしもそうではない。それが、この制度的な違いを生み出しているに過ぎないと指摘するのである。
 このときサートンが問題化しているのは、医学史研究者が自らを科学史家として認識してしまうことである。もちろん、彼は医学史をねたんでその発言をしているわけではなく、彼が構想していた人類史(History of Humanity)というプロジェクトに則ってそう言っているのである。サートンの言う人類史(あるいは文明史)は科学史と技芸史によって構成される。このとき、サートンは前者のコアとなるものとして数学史を取り上げており、一方、医学史は後者に属するものであると捉えている。そのため、彼は数学史と医学史の特徴を、そのような構図のもと対比的に説明している。たとえば、体温計やX線装置といった医学史上の発明は科学の表面的・応用的な部分に過ぎず、そのコアにあるのは数学であると指摘する。また、医学は非常に人間的な活動であるが、数学は非人間的な活動である。しかし、人間の思考ひいては人間の生活のコアの部分は数学が形成しているとも主張している。さらには、医学は人間というミクロコスモスについては詳しく知っているが、その人間が宇宙というマクロコスモスのなかでどういった位置を占めているかは数学者や物理学者にしかわからないとも述べている。
 もちろん、サートンは単に数学史だけをやっていれば良いと言っているわけではない。そうではなく、数学史に焦点を合わせた科学史を、さらにその科学史に焦点を当てた人類史(History of Humanity)を探究するべきだとしている。このとき、当然のことながら技芸史としての医学史は注目に値する。ただし医学史研究者は、医学史研究によって科学史研究について語るという誤りを犯してはならない。それはあたかも主人公のハムレットが出ない、「ハムレット」を演じているようなものである。サートンはそう警告するのであった。