ノーベル賞推薦状にみる日本医学界の動向と科学観:岡本拓司「戦前期日本の医学界とノーベル生理学・医学賞」(2002)

 ここ数日ノーベル賞をめぐって世間が賑わっておりますが、今回は戦前の日本におけるノーベル生理学・医学賞に関して検討した文献を読みました。ノーベル賞をめぐる書籍は一般書から専門書まで数多くありますが、岡本先生による一連のノーベル賞研究は基礎文献であると思います。

岡本拓司「戦前期日本の医学界とノーベル生理学・医学賞――推薦行動の分析を中心に」『哲学・科学史論叢』4、2002年、21-57頁。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/28696
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 1974年、ノーベル財団は受賞から50年を経た賞については、その選考資料を公開することを決定した。これをきっかけとして、科学史研究ではその文書を用いた研究が行われるようになった。このノーベル賞文書は候補者に関する報告書の類と、選考に先立って集められた推薦状からなるが、本稿では特に戦前のノーベル生理学・医学賞への推薦状に注目し、それを検討することで当時の日本の医学界の一端を明らかにしている。

 最初にノーベル生理学・医学賞の授賞までのプロセスが概観される。まず、世界中に推薦資格者(毎年500〜1000名程度)に候補者の推薦依頼を送られ、候補者を記した推薦状がノーベル生理学・医学賞の委員会へと送られる。その候補者は例年50〜70名程度であるが、候補者の業績などが選考された後、委員会が誰を受賞者とするかが決定される。化学賞・物理学賞の場合は委員会の報告がかなりの程度尊重され、そのまま科学アカデミーによる形式的な投票を経て、授賞者決定というプロセスを経るが、生理学・医学賞の場合は、授賞機関であるカロリンスカ研究所においてさらなる議論がおこなわれることがままあり、しばしば委員会の報告がくつがえされている。このことからも、ノーベル生理学・医学賞については、公開された報告書からではその全体像を描くことは難しいことがわかる。

 さて、1901年からはじまったノーベル賞であるが、日本人は初年の北里柴三郎を初めとして、野口英世鈴木梅太郎など、一定数の候補者が推薦されている。中でも大きな画期となったのは、1925年に山極勝三郎が東大医学部によって推薦されたことである。山極は兎の耳にタールを塗り続けることによって世界ではじめて人工的に癌を作り出し、それをウィルヒョウの反復刺激説の証明とした。しかし当時の医学界では、ゴキブリを食べたネズミの中で癌が生じたことを発見したフィビゲルが、反復刺激説の最初の証明とされた。そのため、ノーベル生理学・医学賞は1926年にフィビゲルに与えられ、1930年の山極の死に伴い彼の受賞は夢と消えたのであった。
 山極がノーベル賞を受賞できなかったことにより、その後、ノーベル賞をめぐる日本の医学界の姿勢は変容する。つまり、山極のような優れた業績であっても、目立った推薦行動をしなければ授賞できないと考えるようになり、より積極的な推薦行動を行うようになったのである。もちろん、彼らの間にはノーベル賞の選考が日本人・東洋人に対し差別的で、不平等であるという神話が共有され、推薦行動に冷ややかな目を向ける者もいた。しかし、それでもなおこの時期には既にノーベル賞のもたらす栄誉が強く意識され、各大学・機関では進んで推薦を行ったのであった。
 ただし、ここで注意しなくてはならないのが、山極以降活発化した推薦行動においては、特定の日本人を機関にかかわらず推薦するということはおこなわれず、機関毎に推薦者が決定されたという点である。山極以前は、推薦者は機関や国家の枠にとらわれずおこなわれていた。すなわち、優れた研究であれば自然とその意義が認められるはずという素朴な科学評価の考えをもっていたのである。しかし、山極の非受賞を契機として、国際的な科学評価に対する疑念が生じ、その後は投票をおこなうかのような推薦行動がおこなわれるようになっている。それはたとえば、1928年と1935年にノーベル賞に推薦された慶大医学部の加藤元一の事例にみてとれる。加藤は京大医学部で学び、神経伝導研究を行ったが、それが師とは異なる見解であったため、日本の学会で孤立し、東大や京大などからはその業績が無視されることになった。その後、世界に出て活躍し、パブロフといった著名な研究者にもノーベル賞に推薦される程になるも、結局、日本で彼を推薦したのは慶大のみに留まったのであった。
 このように、ノーベル賞への推薦状という史料からは、当時の医学界の動向や科学観の変遷などを知ることが出来るのである。

関連文献・エントリ

日本の原子核・素粒子理論研究隆盛の要因 岡本「競争的科学観の帰趨」 - オシテオサレテ

当時のノーベル賞をめぐる一連の動向を検討することで、本書で取り上げられる昭和前期の素粒子理論研究における科学観と、上記論文で取り上げられた1930年前後の医学分野における科学観と接合可能となるのかもしれません。


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