統治者・被統治者の闘争モデルと合意モデル:深谷克己「民間社会と百姓成立」(2009)

 修論用メモとして、深谷克己氏が提起した「百姓成立」という概念について、氏がそのエッセンスをまとめている論考を読みました。

深谷克己「序 民間社会と百姓成立」『深谷克己近世史論集 1 民間社会と百姓成立』校倉書房、2009年、11-19頁。

深谷克己近世史論集〈第1巻〉民間社会と百姓成立

深谷克己近世史論集〈第1巻〉民間社会と百姓成立

 『深谷克己近世史論集』の第一巻は『民間社会と百姓成立』というタイトルが付けられているが、そこにある「百姓成立」と「民間社会」という概念は、ともに深谷の研究においてコアとなる概念装置である。
 「百姓成立」という言葉は、近世の統治者と被統治者が共有していた思想を示すために著者によって提出された概念装置である。この枠組みがもたらす新しい見方は、両者が対立関係にあったのではなく、合意関係にあったことを示すことができる点である。この概念が提出されるに至った背景には、戦時・戦後近世史研究の「階級闘争史」で前提とされていた、支配者と被支配者の関係を非和解的対抗関係と捉える見方を乗り越えようとする著者の動機があった。百姓が領主に対しておこなう激しい抵抗を試みる百姓一揆は、歴史的には両者の和解が達成されず、また別の一揆を誘発するような非和解的な事象として捉えられてきた。しかし著者は、その闘争の歴史ばかりを強調するのではなく、一揆などで顕在する諸矛盾を繰り返しながらも、両者が徐々に共通の政治的価値観を共有するようになっていくと捉えようとした。つまり、両者の間に「合意」が形成されていたことを促す著者は、御救、公儀、直目安などといった言葉に注目し、そこにある合意を読み取ろうとしたのである。
 もちろん、百姓成立という概念は著者の完全な独創であったわけではなく、研究史における到達と非常に密接に関わっている。すなわち、安良城盛昭が着目し、佐々木潤之介が発展させた小農の自立論・維持論と接続可能なのである。かつて地主によって搾取・抑圧される存在として描かれていた小作は、小農の自立論・維持論の登場によって、より自立性をもった存在として描かれることが可能になったが、百姓成立論はまさに小農が成立・維持させられる事態に注目を促すのである。百姓成立論は、上で見た戦前・戦後の階級闘争史を乗り越えをはかったときと同様に、領主・小農の間の関係性に関する新たな見方を可能にしている。つまり、小農の自立論・維持論では、支配者と被支配者の関係が非和解的関係として描かれてしまっていたが、百姓成立論はその間に共通意識の存在を見いだそうとするのである。
 本書でもう一つの主題となっている「民間社会」という概念は、百姓成立に関する議論と関連する概念である。百姓成立論では小農の自立・維持や村方での小商品生産など、民間社会レベルの経済的・産業的肥大化に着目されていた。つまり、民間社会の成長にともない、百姓成立のために幕藩権力が「民政」に対する関心を強めていったことなどが議論されていた。しかし著者は1980年代後半から、百姓成立という視点からは一端離れ、その民間社会の発展に着目し、それがいかに形成されていったかに関心をシフトさせている。この概念については、現在もなお修正を加えつつ、発展をはかっている概念である。

関連文献

江戸時代―日本の歴史〈6〉 (岩波ジュニア新書)

江戸時代―日本の歴史〈6〉 (岩波ジュニア新書)

大系 日本の歴史〈9〉士農工商の世 (小学館ライブラリー)

大系 日本の歴史〈9〉士農工商の世 (小学館ライブラリー)

徳川社会のゆらぎ (全集 日本の歴史 11)

徳川社会のゆらぎ (全集 日本の歴史 11)