人間史と自然史の相互作用への着目:水本邦彦『環境の日本史 4 人々の営みと近世の自然』(2013)

 とある勉強会で、近世日本の環境史に関する文献を読んでいます。第一回目は、吉川弘文館から全五巻本として刊行された『環境の日本史』シリーズから、近世史に関連した第四巻の編者の総論などを読みました。

水本邦彦「人々の営みと近世の自然――総論」、「1 人と自然の近世」水本邦彦(編)『環境の日本史 4 人々の営みと近世の自然』吉川弘文館、2013年、1–38頁。

環境の日本史〈4〉人々の営みと近世の自然

環境の日本史〈4〉人々の営みと近世の自然

 本巻の編者である水本は、総論においてまず、本巻が主として着目する人間と自然との関わりについての歴史について言及する。そこでは、哲学者・内山節の言葉がひかれながら、これまでの歴史学が人間社会にばかりに注目する人間史であったことを問題化している。内山はさらに、人間とは独立した自然の歴史に関する研究の存在を指摘し、人間史と自然史が相互に干渉しあう歴史を描くことの意義を主張しているが、著者の水本もこの枠組みにそった「環境史」をめざそうとしている。ただし、水本自身は「環境(史)」という言葉はほとんど用いておらず、むしろ「自然」という言葉を用いている。
 総論に続く第I部第1章の「人と自然の近世」では、近世人あるいは近世社会が自然に対して積極的に働きかけをおこなっていた姿が描かれている。このような姿勢を水本は、中世社会から近世社会に移行して、社会の価値観が「自力救済」から「身分型自力」へと変化したことに関連づけている。つまり、中世では人々は自ら武装し自力で権利を守っていたのが、近世では身分に沿った生業に全力を注ぎ込むようになるのである。たとえば、和泉国南部の日根野荘に関する鎌倉時代末期の絵図と近世中期の絵図を比べると、前者では村が荒野に囲まれて描かれていたが、後者では新たに水田などが広がり、人間が今ある自然に対して最善の対応を講じていたことがわかる。そのような社会の変化は、新しい領主権力による身分型国家の設立とそれに伴う土木事業の開始などに帰せられるのであった。
 近世社会は自然に対して積極的な働きかけをおこなうことで、城下町をつくったり、新田村をつくったりしていくが、このことは思想史的にも確認できる。近世人の典型的な思想においては、自然と社会を統括する「天」という絶対者の存在が措定され、天が定めた「天道」に沿ってしか生きることが人々の規範とされた。いわゆる、天道思想である。ただし、人間はただ受動的に生きていればよいのかと言えば必ずしもそうではなく、人力の限界と可能性を踏まえた上での努力がおこなわれた。たとえば、農学者の宮崎安貞(1623–1697)は、人間にはとてもよい土質と悪い土質を変換させることはできないが、その中間の土質であればなんとか変えることができると述べる。つまり、人間が自然を変革する力に肯定的な評価を与えているのである。水本は、このような思想は近世の水利土木関係のテキストにはしばしば確認できることを指摘し、総論でも述べられていた、人間史と自然史との相互作用を描こうとするのであった。

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