第24回国際科学史・技術史・医学史会議(2013年7月23日、於:マンチェスター大学):2日目
24th International Congress of History of Science, Technology and Medicine, 23 July 2013, at the University of Manchester
http://www.ichstm2013.com/
・S002:科学博物館における研究――その最先端(要旨)
「博物館学と遺産」カテゴリに分類されるこのセッションには、この日も40人を超える参加者が集まっており、1日目のセッションと同様、イギリスにおける博物館学・アーカイブズ学への関心の高さを知ることができました。参加しているメンバーも大体同じような顔ぶれでした。1日目のセッションと比べ、このセッションでは博物館の歴史に関する報告が多くなされていましたが、正直なところ、もう少し当時の文脈を詳しく説明してほしいという感想をもちました。実際、フロアからの質問も歴史的な事柄を問うよりもむしろ、博物館展示の教育的効果について教育心理学的な観点から問うなど、博物館学の関心とかなりひきつけられて議論されることが多かったです。
Liba Taub(ケンブリッジ大学/教授)による"The Whipple Museum MPhil essay model for research projects"は、ケンブリッジ大学科学史・科学哲学デパートメントのMPhillコースの学生に対し、博物館資料を使ったエッセイを課すという取り組みについて紹介します。科学史教育と博物館教育の連携については最近よく話題となっていますが、同コースでは約6週間の執筆期限のもと、4回ほどの指導教員との相談のうえ、同学部のウィップル博物館に収蔵された一点の資料について5000ワードほどのエッセイを書くことを、科学史を専攻する学生に求めています。これによる教育効果として、まずなによりもMPhill論文執筆にとって良い訓練になることがあげられます。エッセイの内容を発展させて科学的機器などに関する修了論文を書く学生もいるようです。また、そのエッセイを博物館のブログなどで紹介することで、収蔵資料について大衆により知ってもらうことも可能になるのでした。
・S063:産業および帝国の時代における科学の紙の世界(要旨)
こちらも1日目に引き続き、「出版とイメージ」カテゴリのセッションです。そこでのチェアおよび報告者にSecordがいたためか参加者は前日よりも多く、30人ほど来ていたと思います。
Jim Secord(ケンブリッジ大学/教授)による"The paper world of science: a brief overview"は、1900年前後におけるグローバルな科学的知識の移動を可能にした背景として、フランス革命後の「紙の世界」における科学に注目します。つまり、「紙の世界」という言葉によって、この時代における新聞、雑誌、手紙などによる情報交換の広まりに注意を促すのです。たとえば、新聞についてみてみると、それに科学的発見が記載されるようになるのは1800年頃でした(この点は一日目のWatts報告と重なる議論です)。また、科学雑誌についても、この話題についてはしばしば17世紀の英国王立協会による雑誌に言及されることが多い反面、実際にヨーロッパひいては中東・アジアに科学雑誌が生み出されていったのは1800年以降であることを指摘します。さらには、19世紀後半におこなわれた郵便局の大規模化およびその分類システムの刷新にあらわれるように、大衆の間の、そして、科学者たちの間の手紙のやりとりも急増し、科学に関する情報がより多くの人びとの間で共有されるようになるのでした。そういった背景のもと、帝国ネットワークなどと相まって、19世紀の終わり頃より科学知識の世界的な移動がはじまっていくとSecordは議論するのでした。
・S027:前近代アジアにおける医学知識の異文化間交流(要旨)
このセッションは仏教医学が専門のPierce Salguero(ペンシルバニア州立大学/教授)とチベット医学が専門のRonit Yoeli-Tlalim(ロンドン大学/教授)によってオーガナイズされたもので、20人弱の参加者がいました。セッション内での報告は中国の医学史に関するものがほとんどで、日本の医学史についてはAndrew Goble(オレゴン大学/教授)による15–16世紀の日本における東アジアレベルの医学知識の交流に関する報告ぐらいでした。そもそもこの会議全体を通じても、日本の医学史に関する報告は非常に少なかったという印象を受けました。
Volker Scheid(ウェストミンスター大学/教授)の"From irrigation culture via territorial warfare to proto-immunity: re-imagining the body in late imperial China"は、中国医学における「経」という概念に注目し、これまでその概念について検討した医学史において見落とされていた部分を明らかにしています。「経」の概念は前漢時代から続く概念であり、中国医学的な身体観の基本にある概念であるとみなされています。その概念はしばしば身体の経路として表現されますが、しかしながら常にそのような見方をされていたわけではありませんでした。実際、『傷寒論』の影響による経験的な医学思想の高まりを受け、16世紀頃の明朝では伝統的な身体観を否定する医学者があらわれはじめ、経を身体の経路のように捉えるのではなく、身体の境界を定めるものとして捉えようとするのでした。たとえば柯琴(c.1662–1735)は、『傷寒論翼』において地理学的な理解に基づいた身体観を示しています。そこでは、異民族からの侵攻という自らの経験に依拠するかのように、病気が外敵の侵攻という観点から捉えられているのでした。