第24回国際科学史・技術史・医学史会議(2013年7月21日、於:マンチェスター大学):1日目

 2013年7月21〜28日の一週間にわたって、第24回国際科学史・技術史・医学史会議がマンチェスター大学で開催されました。世界60カ国以上から1758人の参加者が集まり、1400の報告と100を超えるソーシャル・プログラムがおこなわれるという非常に大規模な学会でした。この会議には科学史・技術史・医学史の専門家だけでなく、それらと関連する領域の研究者(たとえば、文化史、芸術史、書物史、軍事史ジェンダースタディーズ、さらには博物館や資料館のキュレイターやアーキビストまで)も参加しており、23のパラレルセッションのもと、合計411のセッションが開催されたようです。
 マンチェスターという都市でこの会議が開催されることは大きな歴史的な意味があります。第一に、言うまでもなくこの地が産業革命の発祥の都市であるということです。そのことは街に残されたモニュメント、あるいは、現在も多くの地域からの労働者が集住していると地域を見て回ることで実感することができます。第二の意義は会議名に隠されています。前回、ブダペストで開催されたこの会議では科学史と技術史のみでしたが、今回からはそれに医学史が加わっています。ここで思い出されるのは、科学史と技術史と医学史を独立に捉えるのではなく、それをSTM(Science, Technology, and Medicine)として統合的に捉え、STMに共通する知の様式を示し出そうとしたジョン・ピクストンによる研究です。彼のその取り組みは、一方ではWays of Knowing(2000)という著書として結実し、もう一方ではマンチェスター大学に世界的にもまれな科学史・技術史・医学史の三つを合わせたデパートメント設立へと連なりました。そのため、そのマンチェスター大学においてSTMの会議がおこなわれたことは、科学史・技術史・医学史学界にとって大きな意義があったと思われます。
 僕はこの会議には初参加であったため、この国際会議が各業界の間でどのように位置づけられているかは正直なところよく知らずに来てしまいました。上に書いたような歴史的背景から推測していたこと、そして、実際に参加してからわかったことは、医学史研究者にとってこの会議はまだあまり知れ渡っていないという点です。もちろん、医学に関する報告はたくさんあったのですが、そこで扱われるトピックは医学史において扱われている多様な主題のなかのごく一部であるように思えました(たとえば、公衆衛生や優生学などの20世紀の医学史は多かったです)。逆に、近現代の科学史をやっている方にとっては、有力な研究者が多く集まる重要な会議であったはずです。
 さて、以下では僕が5日間にわたって参加したセッションの概要や感想を一日ずつ簡単にまとめたいと思います。

24th International Congress of History of Science, Technology and Medicine, 22 July 2013, at the University of Manchester
http://www.ichstm2013.com/

・チャン・ハソク基調講演(要旨

 本会議はイギリス科学史学会の会長Chang Hasok(ケンブリッジ大学/教授)による"Putting science back into the history of science"という基調講演によってはじまりました。その印象的な基調講演では、彼が長年取り組んできた科学史と科学哲学との間の交流が聴衆に訴えられたのでした。冒頭でギリスピーの言葉を引用しながら、彼は最近の科学史研究において「科学」そのものの考察が少なくなっていることを指摘します。だからと言って彼は、社会史や文化史ではなく知識史を、あるいは、実践ばかりではなく理論の検討をすすめるべきだと単純に言っているのではありません。むしろ、そのように対立的に捉えられてきた科学の内容と科学の文脈とを、補完的に捉えるべきだと主張するのです。実際、科学の内容に詳しい検討を加えないと、捉えることができない科学史もあるはずです。そのために彼は、“Content as Context”というキャッチーな言葉を提起することによって、科学史において科学の内実を問うことの重要性を主張するのでした。なお、この講演はYouTubeでも閲覧できます。


・S075:科学を出版する(要旨

 「出版とイメージ」という大きなカテゴリの一つに入っているこのセッションには30人弱の参加者がいました。他にも類似のセッションがいくつもあったことからも、科学史と出版を関連づける研究はこちらではかなり一般的なトピックとなっていることがわかります。報告者の方も比較的若い方が多かったです。
 Iain Watts(プリンストン大学/大学院生)による" “Philosophical intelligence”: print, periodicity, and the traffic in scientific news between Britain and Continental Europe during the Napoleonic Wars"は、フランス革命以降の西欧における科学に関するニュースが急増していく事態に着目し、新聞や雑誌で科学に関する記事がいかに流通していたかを示し出していました。この頃には、一般大衆も科学に関するニュースに関心をもつようになりますが、そういった情報はロンドンからハンブルク(あるいはハレ)に、ハンブルクからパリに、そしてパリからロンドンに循環していったのです。ここで注意すべきは、そういった情報があるときは専門雑誌から新聞へ、またあるときはその逆に新聞から専門雑誌へと提供されていた点です。つまり、そこにはこの時代における専門家と非専門家との間のつながりを見いだすことができるのです。

・S072:知識の取り扱いを可能にするための科学遺産の保存――歴史家・アーキビスト・科学者は世界的オンラインシステムをつかっていかに科学遺産を保存・普及させることにかかわるか(要旨

 このセッションには40人を超える参加者がおり、今回の会議における科学史・技術史・医学史関連の博物館学アーカイブズ学に関する関心の高さを知ることが出来ました。「博物館学と遺産」というカテゴリに含まれるこれらセッションには、全体を通じて多くの参加者がいたようです。ただし、フロアからのコメントなどを聞く限りは、歴史研究者の参加はそれほど多くなかったと見受けられ、主としてキュレイターやアーキビストの方がこれらのセッションにまとまって参加していたと思われます。また、報告者および参加者はイギリスの機関に所属する方が多く、その次に、イギリスと同様に博物館学の盛んなアメリカからの参加者が多かったようです。一方、欧米以外の参加者はかなり少なく、会場を見渡してもおそらくアジア系は僕ぐらいだったように思われます。このあたりに、博物館学アーカイブに対する研究者の関心の違いを実感しました。
 Anne Barrett(インペリアル・カレッジ・ロンドン/アーキビスト、レコード・マネージャー)による"Toward an international strategy for scientific archive"(題目変更)という基調講演では、科学関連アーカイブズ構築に向けた国際的な戦略を提起しようというものでした。フロアとのディスカッションでは、国際的な戦略はもちろんのこと、まずは各アーカイブズ間のつながりを構築する必要があるとの問題提起がおこなわれていました。実際、化学系のアーカイブズは化学資料のみを収集し、地学系は地学資料、薬学系は薬学資料などといったように、分野毎の縦割りの資料収集・管理がおこなわれているのが現状なのでした。

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