洋学史学会2014年度大会「洋学史研究の再生」(2014年7月13日、於:電気通信大学)

 洋学史学会の本年度の大会に参加しました。当日は、ミヒェル・ヴォルフガング先生による「洋学史の諸課題と展望について」という基調講演にはじまり、中村士・渡辺政弥・塚原東吾・平野恵の四氏による問題提起がなされるなど、非常にもりだくさんの内容でした。そして、『洋学』(21号、2013年)の刊行報告もおこなわれました。以下では、独学史がご専門の渡辺政弥氏による「2000年代以降の独学史研究を俯瞰して」という報告を紹介します。

渡辺政弥「2000年代以降の独学史研究を俯瞰して」洋学史学会2014年度大会「洋学史研究の再生」、2014年7月13日、於:電気通信大学
HP:http://d.hatena.ne.jp/yogakushi/20140710/1405006395

 かつて松田和夫は、その研究対象によって独学史研究を4つに分類した。その特徴は、ドイツにおけるヤパノロギー(日本学)の視点から分類した点である。第一期は、まだ日本が伝説・未知の国であった時期である17世紀までで、ヨーロッパに日本をはじめて体系的に紹介したケンペル (1651–1716)などがその代表である。第二期は、日本が現実の国として認識されはじめた時期で、シーボルト(1796–1866)を中心とする 18–19世紀が主に注目される。第三期は、日本が学問対象となっていく時期で、帝大で教鞭をとった日本学研究者・フローレンツ(1865–1939)から1945年 までが対象である。第四期は、日本が経済大国となった1957年以降から現在まで続く時期であり、その主たる担い手は日系企業で働くドイツ人などとなる。
  報告者は、この分類に基づきながら、とくに第一期・第二期の先行研究について概観する。まず、第一期のケンペルについては、大島明秀の『「鎖国」という言説――ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史』(2009年)や小川小百合の「ヴァリニャーノの適応主義と神道――ケンペルの神道理解と対比してみえるもの」『キリスト教史学』(2011年)がとりわけ傑出した研究であると紹介している。このとき、報告者はケンペル研究の研究史上の意義を単に説明するのではなく、彼に関する研究が一般の人にも関心をもってもらえる可能性があると指摘する。たとえば、日本は無宗教の国であるとしばしば言われるが、そのような言説の始原をケンペルの 『日本誌』のなかに見出すことができるのである。
 第二期のシーボルトについては、古くは日独文化協会の編集による『シーボルト研究』(1938 年)が、最近では石井禎一らによる『新・シーボルト研究』(全二巻、2003年)や、この日出版されたばかりの『洋学』(21号)に掲載された沓澤宣賢によるサーベイ論文などがあげられる。シーボルトは日本ではもっとも研究されている外国人の一人であるが、海外ではやや研究は少なく、また彼の思想に関する分析も手薄である。このことは、ケンペル研究が海外でも啓蒙主義研究の一環(実際、ケンペルの思想は部分的にモンテスキューにも影響を与えていたという)として盛んにおこなわれている事態とは対照的である。以上より、シーボルトという学問的に非常に研究されている人物であっても、研究されるべき主題はまだ残っていると報告者は指摘するのであった。
 さらに報告者は、蕃書調所という学問機関に注目する。このときもまた、報告者はその研究史上の意義だけでなく、今日の問題と関連づけようとする。報告者は大学などでドイツ語を教えているが、その際にしばしば、あまり語学に関心をもたない大学生に対していかにドイツ語を教えればよいかを考えさせられていると言う。このとき、蕃書調所でドイツ語がいかに講じられ、学生がどのような反応をしていたかを知ることは、現在の大学での第二外国語教育と何らかの関連性を得られるかもしれない。
 最後に、「洋学史研究の再生」という今回のシンポ ジウムの主題に関して、報告者はいくつかの論点を提出する。しばしば主張される比較研究の意義を報告者は認めつつ、その具体例として、たとえば、中国に洋学がいかに伝わり、受容されたかを研究することもまた、洋学史研究に含めることができると指摘する。つまり、洋学史研究とは日本における洋学の研究にとどまらないのであり、その特徴こそが洋学史研究が有している可能性なのだと報告者は言うのであった。そのため、今後さらに学会を発展させていくためには、何よりも、日本国内にとどまらず、世界中の研究者同士の情報共有の活性化が重要であるとして、結んでいる。

関連文献

新・シーボルト研究〈1〉自然科学・医学篇

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