属領と植民地主義という支配・従属関係の連続性:塩出浩之「北海道・沖縄・小笠原諸島と近代日本」(2014)

塩出浩之「北海道・沖縄・小笠原諸島と近代日本」『講座 日本歴史 15 近現代 1』岩波書店、2014年、165–201頁。

近現代1 (岩波講座 日本歴史 第15巻)

近現代1 (岩波講座 日本歴史 第15巻)

 「植民地」という言葉が使われるとき、近代日本のそれとして真っ先にあげられるのは台湾や朝鮮といった国々であろう。そこには、植民者と原住民の間に支配・従属関係が形成されている。一方、北海道や沖縄、さらには小笠原諸島が植民地と捉えられることはあまりなく、それらはむしろ本国の「属領」として統治されていたと捉えられるべきだろう。そのため、植民地と属領はしばしば別個に捉えられるが、ともに本国とは異なる法的領域として位置づけられていたことを踏まえると、両概念はかなりの程度重なる部分があった。しかし、これまでは両者を関連づけて論じる議論はない。そこで本論文は、北海道・沖縄・小笠原諸島という三つの地域に注目し、植民地と属領との間の相関を示そうとする。著者はまず、それら地域が属領から本国に編入される過程を描き出す。本国編入が完了したということは、支配・従属関係がなくなるということである。しかしながら著者はこれら地域の間で支配・従属関係はなくなることがなかったと言う。つまり、「植民地主義」という支配・従属関係がそこにはいぜんとして残っていた指摘するのである。
 1889年の大日本帝国憲法とともに制定された衆議院議員選挙法において、この三地域が代表選出除外地域として定められた。つまり、行政的にはこの三地域は本国(本州・四国・九州など)とは異なる地域として捉えられており、本国の属領として統治されていることを意味している。そのような属領統治体制は日清戦争を経て再編されていく。1899年に元沖縄県技師の謝花昇(1865–1908)が沖縄県への衆議院選挙法施行を帝国議会に請願したことをきっかけに、1900年には北海道・沖縄に選挙区が設置された。その後、三新法が北海道・沖縄でも制定されていくことで、北海道は1903年までに、沖縄は1919年までに本国編入を果たし、属領という支配・従属関係から離脱することができたのである。一方、1945年4月までには衆院選挙法の施行範囲が台湾・南樺太・朝鮮などの植民地にまで広がったが、小笠原諸島は敗戦まで本国に編入されることはなく、属領のままであった。
 本国編入によって、属領という支配・従属関係が解消された沖縄や北海道であったが、そこでは植民地主義というまた別の支配・従属関係が生成していくことになる。北海道では本国編入と並行して、アイヌに対して大和人の言語や生活習慣に同化するような施策が進められたし、沖縄でも本国編入後から同様の同化政策が進められた。さらに本国編入がなされず、属領のままであった小笠原諸島では、1920年以降日本の軍事植民地化が進められ、それまで欧米系住民のためにおこなわれていた英語教育も1940年前後までには禁止され、日本名への改氏名も強制されることになる。このような同化教育や旧慣調査というのは、植民地の台湾・朝鮮などでも進められた。つまり、沖縄・北海道・小笠原諸島の例からわかるように、属領統治と植民地主義との間には連続性があったのである。