科学知識の「循環」とグローバル・ヒストリー:Roberts "Situating Science in Global History" (2009)

 月曜日に迫ったIsis Focus読書会に向けて、科学史とグローバル・ヒストリー(以下、GH)に関する文献を読みました。著者は科学史家ですが科学史だけでなくGHの特徴を端的に捉え、科学史のGHへの接続に向けて示唆に富んだ問題提起をしています。
 なお、読書会はどなたでも参加可能ですので、関心のある方はどうぞ。今回は色んな分野の方がたくさん集まりそうで嬉しいです!詳細は下記リンクから。
1/21(月)Isis, Focus読書会#7 科学のグローバルヒストリー - 駒場科学史研究会

Lissa Roberts, "Situating Science in Global History: Local Exchanges and Networks of Circulation," Itinerario, 33(1), 2009, pp. 9-30.

 2006年に創刊されたJournal of Global Historyという雑誌で、経済史家のパトリック・オブライエンは、自然科学的研究のGHへの導入により、気候変化などの「長期持続」(ブローデル)の解明に貢献するとして歓迎の態度を示した。そこでのオブライエンの科学観は、科学には国境がなく、科学はいつも普遍的な理解を求めているという素朴なものであった。一方、「帝国と科学」研究は欧米諸国が帝国主義による支配を進めるにあたって科学が重要なツールであったことを明らかにした。しかし、科学と国家の関連を明確に示したこの研究は、一方で、科学がグローバルにさまざまなローカルな文化と交わっていたことを見落としてしまっている。そこで、本論文はそのような側面に光を当てるために「循環」という昨今のGHにおいても注目を浴びる概念に着目し、科学史研究がGHにとって大きな貢献となりうることを主張している。
 W・W・ロストウ(1916-2003)による経済発展理論は、ヨーロッパが17〜18世紀に科学の発展によって経済国へとなったことを引き合いに出しながら、科学が世界中に「拡散」(ジョージ・バサラ)していくことで、国々は経済の発展と自由民主主義を獲得できるという主張をおこなった。その後、ロストウへの批判者は、その発展モデルを支配的な中心と搾取される周縁という構図によって再構成した。また別の批判者は、相対主義的アプローチにより、そういったモデルでは捉えることができないミクロな事象への着目を促した。科学史もまたこのような視点を導入しているが、それにより、さまざまな地域の環境で形成される一つの知識が普遍性をもつように思われる科学知識へとどのように変化するかを説明するという課題に直面した。また、西欧近代科学が物質的発展にも関連しているように思われることを、相対主義的な観点からどう説明するかという課題にもぶつかった。このような課題に対し、本論文は「循環」という観点からこの問題に対する回答を提示しようと試みている。
 科学技術が世界規模で普及していったように思える事態を、それぞれの地域での交流と関連づけて捉える視点が提起されている。たとえば、ジョゼフ・オコネルは、科学が世界的に普及するようになったのは、科学が「自然の言葉」であったからではなく、西欧の度量衡標準(メートル法など)が社会的な交渉のなかで広範囲に循環し、受容されたためであるとしている。そのような循環は支配国を中心に世界規模に進められ、その結果、西欧の支配国へと物や知識、技術、資本などが蓄積していくことになったのである。ブルーノ・ラトゥールはこのような科学の広がりを別様に表現する。すなわち、科学の発展はそのような蓄積の中心地を基礎にしており、そこのエージェントや制度がそれぞれの地域の人やモノを生成・交換のネットワークに組み入れると同時に、その地域の統治を強めるために標準化されたモノや概念を循環させ、それにより自らの地位を維持しようとしたと捉えた。たとえば、このことはフランスの探検家ラ・ペルーズ(1741-1788)が1787年にサハリンに来たとき、現地の人とおこなった交渉にみてとれる。ラ・ペルーズはその場所がどこにあるかを現地人に聞き、ある者はその位置を砂に描き、またある者はカヌーに乗ったときの視点からみえる距離を紙に記した。ラ・ペルーズはこの情報を自国で蓄積されていた地図製作法の知識によって抽象化することで、自国へ伝えたのである。ラトゥールはまさにこのような交渉がフランスの帝国主義と科学の発展につながっていったとしている。一方、そのような中心と周縁を前提とするラトゥールの見方に対し、著者は「反対の依存」関係を指摘する。すなわち、現地民が既にもっていた情報、知識のネットワーク、あるいはモノなどがあったことで、ラ・ペルーズが自らの知識の抽象化が可能となったとするのである。
 著者はさらに人や知識、モノの「循環」という概念を「コンタクト・ゾーン」(メアリー・L・プラット)と関連させ、多文化間の交流がおこなわれる「地域」への注目を促す。元々、この概念は植民者と被植民者、旅行者と旅行先の人との間の人的な共存がおこなわれている空間を指し示すものであるが、著者はそれを人だけでなくモノや知識が共存する空間へと拡張している。その概念は異なる民族や文化が接触しあっている空間への注目を促す。このような空間では一定の支配的な文化があらわれず、さまざまな文化が常に対抗している場所であることもあった。また、このような空間はいつも中心から孤立した場所であるわけでなく、非常に都市化した空間となることもあった。ファーチー・ファンも示すように、広東港はまさにこのような空間であり、西欧人はたとえばそこの市場にいる伝統的な商人から学び、地方の農家や漁師から地域の動植物を教えてもらい、中国人の税関たちから商品の分類・説明方法を聞いたのである。この事例からは、西欧人が自ら未開の地を切り拓き、科学的知識の探究を進めていったというより、このような都市化していた既存の空間の存在によってそれが可能になったことがわかる。
 このように、科学知識は常にローカルな文化と交流し、グローバルに循環しており、科学の始原であるという特権的な空間は存在しない。また、科学は歴史の社会的・文化的・宗教的・政治的文脈に組み込まれてもいる。このことから、科学史はGHの一つであり、そういった見方をすることでそれらの接続が可能になると著者は主張するのであった。

関連文献・エントリ

科学史のグローバル・ヒストリーに向けて Safier, "Global Knowledge on the Move" - オシテオサレテ
Isis, Focus(科学史とグローバルヒストリー)の論考でも重要文献としてひかれています。(Safier論文註12)

植民地科学における非公式ネットワーク: Harrison "Science and the British Empire" (2005) - f**t note

・Brett L. Walker "Foreign Affairs and Frontiers in Early Modern Japan: A Historiographical Essay," in Image and Identity: Rethinking Cultural History, ed. Jeffrey E. Hanes and Yamaji Hidetoshi (Kobe: Institute of Economics and Management, Kobe University, 2005).

上記要約では割愛しましたが、ブレット・ウォーカーの議論もラトゥールの事例とは対比的な事例としてひかれていました。ウォーカーは、19世紀初頭の日本での西欧の地図製作法に対するアンビバレントな見方を描き出しています。徳川幕府はサハリンなどの周縁に対する帝国主義を進めるためにを活用していました。しかし、緊張化する西欧列強に対する海防問題を背景に、地図製作法を利用することが西洋文化の浸食となってしまうという懸念があり、もう一方では日本のような「周縁」が西欧に屈服することなく近代化することができる力を与えてくれるものであると捉えられていたのでした。


The Brokered World: Go-Betweens and Global Intelligence, 1770-1820

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グローバル・ヒストリーとは何か

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