自民族の起源および王国の歴史を知るためのルーン学研究:小澤実「ゴート・ルネサンスとルーン学の成立」(2014)

 とあるインテレクチュアルヒストリーの授業のアサインメントとして読みました。

小澤実「ゴート・ルネサンスとルーン学の成立――デンマークの事例」『知のミクロコスモス――中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』中央公論新社、2014年、69-97頁。

 ルネサンス期における古典語世界に対する関心の高まりは、西ヨーロッパにとどまらず北ヨーロッパにも広がっていった。本稿では、これまでのルネサンス研究では等閑視されてきたスカンディナヴィアに注目し、そこでのルネサンスの展開について検討している。具体的には、スウェーデンデンマークルネサンスで最も関心を集めた「ルーン文字」について、当時の知識人たちがいかなる動機あるいは方法でその研究に邁進していたかが示される。
  スカンディナヴィアでは、西欧的なルネサンスとはやや異なるルネサンス、すなわちゴートルネサンスが発生した。15–16世紀のスカンディナヴィアでも、西欧のように古代古典の復興という人文主義的な思想が広まっており、聖書や古典テクストの検討がなされた。しかし、スカンディナヴィア、とくにスウェーデンにおいて特徴的であったのは、自らの過去をゴート人と結びつける思想が生まれた点である。4世紀にローマ世界へ進出したゴート人は、のちにイタリア半島イベリア半島にそれぞれ王国を築いたとされ、彼らをスカンディナヴィアと結びつける考えが15世紀中頃までに広まっていったのである。この考えを大いに発展させたのがスウェーデンのマグヌス兄弟で、彼らは古代スカンディナヴィアのアイデンティティとしてルーン文字に重要な位置づけを与えた。その後、スウェーデン国王の官職をつとめていたヨハンネス・ブレウス(1568–1652)がルーン学研究を学術的に発展させ、ウプサラ大学のウーロヴ・ルドベーク(1630–1702)が愛国主義的な性格を付与しつつ研究をさらに進めた。
 では、スウェーデンの隣国デンマークでは、ルーン研究はどのように進められたのだろうか。デンマークにおいてルーン研究が活発になった最大の契機は、スウェーデンのようなゴート人の再発見ではなく、16世紀末のイェリング石碑の再発見であった。そもそもデンマークでは自国の起源をゴートに結びつける発想はほとんど取られていなかった。 代わりに、1586–1587年に発見されたイェリング石碑に、デンマークの現王朝との関わりを示すルーン文字が刻まれていたという事実が、デンマーク知識人をルーン文字研究に駆り立てることになった。その石碑にいち早く目をつけたのが、南ユトランドの統治代行を委任されていた知識人ハインリヒ・ランツァウ(1526–1598)であった。ランツァウは王室の祖を記念するイェリング石碑に強い関心を示し、人文主義的精神に基づき、イェリング墳墓の銅版画を作成するなどした。
  デンマークのルーン学研究において金字塔を打ち立てたのが、宮廷侍医ならびにコペンハーゲン大学医学部教授をつとめていたオラウス・ウォルミウス (1588–1654)であった。医師として働く傍ら、ウォルミウスは古遺物研究をおこなっていた。いやむしろ、初期近代の「驚異の部屋」を象徴するような彼の博物館が、のちのコペンハーゲンにある国立博物館になったことに鑑みると、彼は古遺物研究者としての方が有名かもしれない。ともあれ、ルーン文字にも関心を示したウォルミウスはルーン研究に関する書物を4冊著しており、そのなかでも『デンマークの古遺物に関する六書』(1643年)はルーン学の基礎を築き上げた分析が所収されている点で最重要著作である。しかしこの書は、これまでの研究において古遺物研究という広い観点から分析がなされるばかりで、ルーン学という観点から検討されたことはなかった。そのため、本論文はこの書に収録されたイェリング石碑に関する項目について、社会史的な観点から4つの特徴を抽出しようとする。第一に、ウォルミウスが彼の前にルーン学研究をおこなっていた学者たちを外国人として規定し、彼らの知らないであろうデンマークに固有の歴史書を引き出しながら、テクスト批判をおこなっている点である。第二に、ヨーロッパ中の知識人との文通によって新知識を獲得し、その知見をその書物に取り入れた点である。とくに、デンマークの間接的な支配下にあったアイスランドの知識人との交流が最も盛んであり、アイスランドの歴史書を著したアルングリームル・ヨーンソン(1568–1648)とはかなりの数の書簡を交換している。第三に、テクストだけではなく、銅版画によるルーン石碑の図版をその書物に多数収録した点である。この点は従来のルーン学研究には見られない特徴である。なお、ウォルミウスが図版を収録することができたのには、17世紀の古遺物研究において図版の提示が標準的な分析法となっていたという背景をあげることができるだろう。第四に、国家システムを利用して国内のルーンに関する情報を網羅していた点である。たとえば1622年には、デンマークノルウェーの管轄下教区で発見された古遺物の情報を、国王の命によってコペンハーゲンに集めさせている。以上のような、さまざまな次元の知識・情報のネットワークを活用し、ウォルミウスはルーンに関する基礎的研究をおこなったのである。