蝦夷地への感染症襲来とアイヌ医療文化の取り込み:ウォーカー『蝦夷地の征服 1590-1800』(2007)

ブレット・ウォーカー「第七章 蝦夷地の伝染病・医療と変わりゆく生態系」『蝦夷地の征服 1590-1800――日本の領土拡張にみる生態学と文化』秋月俊幸訳、北海道大学出版会、2007年、227–261頁。

蝦夷地の征服1590‐1800―日本の領土拡張にみる生態学と文化

蝦夷地の征服1590‐1800―日本の領土拡張にみる生態学と文化

 本書は、アメリカにおける「新しい西部史」の議論を参照しつつ、1590年から1800年までの蝦夷地を「中間地」という概念で捉えることを試みている。そうすることで著者は、日本人やアイヌ人といった異なる民族グループがその地で政治的・文化的な相互作用を果たしていたことを指摘しようとする。本書の最大の特徴は、ウィリアム・マクニールやジャレド・ダイアモンドなどの議論に触発されつつ、考察の対象を人的な交流のみに限定するのではなく、自然環境などの生態学的な変化を広く捉えようとしている点にあるだろう。
 「第七章 蝦夷地の伝染病・医療と変わりゆく生態系」では、16世紀終わり頃から組織化されていった蝦夷地での交易によって、新たな感染症がその地にもたらされ、その生態系に大きな打撃が加えられたことが指摘されている。記録上、蝦夷地を最初に襲った伝染病は1624年の天然痘であるが、それにより松前藩主の嫡子が死亡するなど、蝦夷地に大きな動揺が与えられた。その後、天然痘は周期的に蝦夷地で発生し、そのたびに村々の人口を大きく減少させることになった。なお、蝦夷地を襲った感染症天然痘だけでなく、その地での売春によって梅毒などの性病ももたらされた。この病気も早くは17世紀後半に蝦夷地で発生していたことが推定されており、1790年代の史料からは「ウエンチ(「悪いペニス」の意)」というアイヌ語で梅毒患者が呼ばれていたことが示されている。いずれにせよ、日本人とアイヌ人との交易により、アイヌ人は新たな感染症に頭を悩ませることになったのである。
 アイヌの人びとはそういった感染症に対抗するべく、独自の医療文化を育んでいくが、そういった文化もまた徳川幕府の政治的問題のうちに絡め取られていくことになる。アイヌの文化では、天然痘などの疾病は幽霊のように捉えられ、幽霊と戦うことで病の克服が試みられていた。その際、人びとは鯨の排泄物やオットセイの胆嚢などを食べることで、その戦いに備えていた。そんな中、幕府・藩はそういった薬種を政策へと取り込もうと企図する。すなわち、一方では1780年代に松前藩松前広長がそれら蝦夷地の薬種を分類した『松前誌』という本を著し、もう一方ではそういった薬種が近世国家の序列関係を示すための贈答文化に組み込まれていったのである。
 感染症の到来をきっかけとして、アイヌの人びとの自治能力は著しく低下した。そして、そういった状況にあった蝦夷地を日本へと併合することはそれほど難しいことではなくなっていた。つまり、日本人との交易によってもたらされた疫病により、新たなアイヌ文化が生み出されはしたが、それが結局はアイヌの従属そして衰退をもたらすことになったのである。こういった事態を、アルフレッド・クロスビーは「生態学帝国主義」と呼んだのであった。

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