20世紀初頭における人種の純粋性・階層性への批判:Tilley “Racial Science, Geopolitics, and Empires"(2014)

 Isis, Focus読書会 #15 "Relocating Race"での担当箇所のレジュメをアップします。

Helen Tilley,“Racial Science, Geopolitics, and Empires: Paradoxes of Power," Isis, 105(4), 2014, pp. 773–781.
http://www.jstor.org/stable/full/10.1086/679424
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 1911年にロンドンでおこなわれた世界人種会議(the Universal Races Congress, URC)には、50カ国を超える国から2100もの参加者が集まった。著者はこの会議を手がかりにして、20世紀前半に起こった人種をめぐる議論を描き出そうとする。つまり、ある者は人種の純粋性や階層性を想定する考えに対し批判の声をあげ、またある者は人種という言葉を使ってアイデンティティを強化しようとしていた現象である。著者はこのような逆説的な事態が起きた背景を検討するにあたって、人種科学、地政学、帝国という三つの側面に注目する。
 まず著者は人類学者たちの人種科学に対するアンビバレントな姿勢を指摘している。1911年のURCでは、純粋な人種という概念が時代遅れの議論であると確認することや、人種によって能力に優劣があるとする議論へ問題提起することが会議の目的として参加者に共有されていた。しかしながら、人類学者Felix von Luschanなどの人種科学の専門家は、人種の純粋性や階層性は否定されるべきものであると同意しつつも、だからといって人種に関する研究は意味がないものと結論づけるべきではないと論じた。このときに人類に関する研究のまた別の可能性として提示されたのが、生物学的差異や歴史的進化というトピックであった。人類学者たちのこのような態度は、20世紀初頭に既に人種という概念に対する疑念がさしむけられながら、その後も人種理論が残り続けたことの一つの理由であったと著者は指摘する。
 次に著者は、植民地支配が広がっていく時期における人種に関する考えの地政学を示している。人類学者の提案は、URCに参加していた各国政府代表や国際弁護士たちに、政治や政策立案の重要さを認識させることになった。すなわち、人種間の階層性が否定されるのであれば、ヨーロッパとアフリカの間にあるような経済的・社会的な不平等も解消されるべきという合意が形成されたのである。
 最後に、著者はしばしば指摘される帝国と人種言説の相補的な関係ではなく、これまで研究史上で見落とされてきた両者の対立関係を描き出そうとする。人種言説の不安定さは、皮肉にも人種国家建設の過程において進展していった。1950年までにはもはや人種言説にもとづいて植民地支配を正当化するのは難しくなっており、その変化は第二次大戦によって生まれたと捉える見方がある。しかし、著者はAfrica as a Living Laboratory (Chicago: University of Chicago Press, 2011)という著作で指摘していたように、戦間期には既にそういった変化が起きていた。実際、既存の人種言説に対する批判的な姿勢はURC参加者だけに共有されていたのではなかった。各国の行政官や役人もまた一定程度人種概念に訴えた植民地経営の正当化に疑念をもちはじめていたのである。たとえば、1937年には東アフリカ国務次官補 (Assistant Secretary of State for East Africa)が英国領のアフリカにおける優生学と知能テストの意義を疑問視している。もちろん、帝国と人種理論の結びつきを検討するのは重要であり、実際にある種の人種言説が帝国へと広がっていた。しかし、URCでみられたような人種理論に対する批判がまた、人種理論に基づいた植民地支配の進展を難しくした。