言説分析について(1):友枝敏雄「言説分析と社会学」(2006)

 とある授業のアサインメントとして、「言説分析」の方法論についての文献を読みました。なお、今回の授業では、こういった学説史的な勉強を目的とするのではなく、その方法論を実際に使えるようになることを目的としています。ということで、今後、実際に言説分析を使った文献を読んで、まとめたいと思います。

友枝敏雄「終章 言説分析と社会学佐藤俊樹・友枝敏雄(編)『言説分析の可能性――社会学的方法の迷宮から』東信堂、2006年、233-253頁。

 「言説分析」と呼ばれる社会学の方法論がある。この方法論は、既に社会学において多くが語られてきた「階層」や「社会構造」といった概念に目を向けるのではなく、ある時代、ある社会において人々に「語られるもの/こと」に注目し、そのような「言説」が生まれるに至る背景を記述することを試みるものである。本論では、言説分析以前の社会学における方法論や目的を概説しつつ、言説分析のもつ新しさについて紹介されている。

 言説分析という理論の新しさを知るには、それ以前の社会学の理論構成について知らねばならない。そこで、まず、社会学における理論構成についての概説が行われる。社会学の理論は三つの位相から構成される。第一の位相は、この理論が受け入れている「大前提」(あるいは「領域仮説」)である。例えば、自然科学の方法論と社会科学の方法論は一致するという考えや、研究対象の単位は確定できるという考えがあげられる。そして、その大前提に依ってたつ形で第二の位相である「純粋理論」が存在する。そこでは、社会事象を記述したり、説明した居るすることを目的とされる。そして、第三の位相であり、かつ、社会学の理論において純粋理論と並んだ二つ目の理論である「規範理論」が存在する。規範理論では、社会における規範・制度・秩序などの有効性に価値判断を下すことを目的とされる。

 そして、こういった従来の社会学理論と比べたとき、言説分析との対照性が如実に現れるのが「大前提」においてである。つまり、これまでの社会学では、自然主義的な立場を容認し、客観的な存在を前提としてきた。しかし、言説分析においては、言語論的転回を踏まえ、分析対象があらかじめ存在していることを認めず、言説の生成とともに対象が存在し始めると考えるのである。つまり、個人の数だけ社会が存在すると考えるため、客観的な単一の世界が存在すると考える従来の社会学の見方とは大きく対立するのである。
 しかしながら、言説分析が主張する「言説によって対象が生み出される」という考えは、その言説の範囲をめぐって、さらに二つに分けられる。すなわち、言説空間以外の存在を認めない「言説一元論」(鈴木譲)、あるいは「言説決定論」(赤川学)という立場と、社会空間の存在も認め、言説と社会階層、社会集団などの関係性を研究する立場である。なお、本論では、前者を「ハードな言説分析」、後者を「ソフトな言説分析」と呼ばれている。
 それでは、最後に、言説分析の社会学にもたらす利点とは何なのだろうか。「ハードな言説分析」の立場に立つとき、その新しさは前述の通り明らかであが、一方、その相対主義的な見方によって、従来の社会学と相容れなくなってしまい、いわば、「何でもあり」の状態になってしまう。著者は、従来の自然主義的な立場が流行らない今日において、普遍主義を何らかの形で保持できないかと提案しているが、残念ながら具体的な提案はなされていない。一方、「ソフトな言説分析」の見方に立つとき、既存の社会学との接続の可能性を感じることが出来るが、これまでの知識社会学や価値意識論、社会意識論、イデオロギー論といった理論との差異が見えにくくなってしまうのである。
 結局、実際の研究を行っていく際に、方法論上の特色や新しさばかりに注目するのではなく、分析の巧拙にもっと関心を寄せるべきであるとして、本論は結ばれている。