医学における苦痛への関心:Pernick "The calculus of suffering in 19th-century surgery" (1983)

Martin S. Pernick, "The calculus of suffering in 19th-century surgery," Hastings Center Report, 13, 1983: 26-36.
Reprinted in Judith Walzer Leavitt and Ronald L. Numbers, eds., Sickness and Health in America: Readings in the History of Medicine and Public Health, Madison, WI: University of Wisconsin Press, 1985, pp. 98–112.

Sickness and Health in America: Readings in the History of Medicine and Public Health

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 19世紀初頭の医師にとって、患者を治療し、命を長らえさせることが医師の唯一の責務であった。しかし、19世紀中葉の麻酔学の発展に伴い、患者の苦痛を和らげるというまた別の責務について、医師たちの間で自覚されるようになる。このとき、苦痛緩和を否定する医師と肯定する医師たちの間でさまざまな論争が行われたが、次第に麻酔は医師たちの間で受容されていくようになった。
 本論は、苦痛を和らげるということが、19世紀のアメリカの医師たちの間でいかに注目を浴びるようになったかについて考察している。そして、麻酔学のインパクトに注目するのではなく、数学的方法の医学への応用、伝統医療や代替医療との関係性、そして、感情主義といった当時の社会思想との関連を意識しつつ、より広い文脈の中に苦痛の歴史が位置づけられている。

 19世紀初頭の医師たちは治療を英雄的なもの、勇敢なものであると考えていた。例えば、医師ベンジャミン・ラッシュは、病状が悪ければ悪いほど、治療の際の苦痛は大きくなると考えており、患者にその苦痛を「男らしく」堪え忍ぶことを求めた。そして、外科手術においても、命を救うためには当然それ相応の苦痛が伴うという信念が広がっていた。つまり、この時代の医療には、苦痛緩和が治療より重要であるという考えは全く見られない。
 しかし、ラッシュのような過激な治療を行う医師に対して、自らを慎重派と称す医師たちが、19世紀中頃の麻酔の登場と同時にあらわれる。彼らは、ガレノスなど医学の古典を引き合いに出しながら、古代・中世では医学の使命は治療と苦痛緩和の二つであったことを指摘し、苦痛への関心を促したのであった。そして、徐々に苦痛に対する意識が医師の間で広まっていったが、それでもなお苦痛緩和は治療の二次的な位置づけに留まっていた。そのような意識は、苦痛を和らげるために命の危険が生じてしまってはナンセンスである、といった批判に典型的にみてとることが出来る。

 それでは、慎重派の医師たちが登場するに至った背景とは何だろうか。それは、麻酔という医学史上の革命によるものなのだろうか。著者はそのような視点をとらず、当時の医師たちの科学的・医学的・社会的コンテクストに注目し、医師の間で苦痛に対する関心が広まった事態について分析している。
 第一に、慎重派の医師たちによる数学的方法の採用が考察される。つまり、微積分学や確率論の台頭を受け、彼らはコスト・ベネフィット論を医療に取り込んだのである。そうすることで、これまでの麻酔の是非をめぐってなされていた価値判断を、客観的に判断しようと試みたのであった。なお、ここで著者は科学決定論的な立場を取らず、慎重派の医師たちがあくまでイデオロギー的に数学的手法を利用したことを指摘している。つまり、数学的な手法が慎重派の医師たちを生み出したのではなく、それまでにあった医学上の論争に決着をつけるべく、慎重派の医師たちが統計学的な手法を採用したと捉えるのである。
 第二に、慎重派の医師たちに対する代替医療からの影響が考察される。19世紀におけるアメリカの医学は、ホメオパシーや水治療法(ハイドロパシー)など多様な代替医療が存在していた。そして、代替医療の多くもまた、ラッシュが主張したような患者に苦痛を与える医療を批判していた。例えば、ホメオパシーはそれまでの英雄的な医学を男らしい医療であるとし、自らを穏やかで子どもや母親にとって魅力的な医療であるという自画像を描いていた。そして、このような苦痛の少ない医療は、患者からも一定数の支持を得ており、慎重派の医師たちの増加、また、苦痛緩和に対する関心を促すことになった。
 第三に、当時の社会における感情主義の興隆との関係が考察される。19世紀のアメリカでは、医師の態度に対する批判が強まっていた。つまり、医師は機械的であり、感情がないといった批判である。そういった事態を受けて、1849年にはハーバード医学校では、「共感」が医療において重要なスキルであると宣言された。そして、さらに、19世紀中頃のロマン主義の台頭は、外科医たちに苦痛への注目を促した。このように、感情主義・ロマン主義の興隆は慎重派の医師たちの誕生の重要な要因であったのである。

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