拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (1) 本書の問題意識

 拙著『医学とキリスト教』が今月26日に出版されます。刊行まで1週間を切りましたので、今日から6日間、本書の内容の簡単な紹介をおこなっていきたいと思います。

 今回の記事では、本書の問題意識などについて、序論を中心に紹介したいと思います。
 本書は医学史の研究です。これまでに日本の近代医学史について分析してきた研究者たちは、ドイツ人医師が日本の医学界に与えた影響に注目していました。実際、東京大学医学部の前身校にはドイツ人医師が雇われ、ドイツ語によって医学が教えられていましたし、多くの日本人医師は医学部卒業後、ドイツに留学し、最新の医学を学ぼうとしました。しかし、興味深いのは、幕末から来日しはじめた西洋人医師に注目したとき、ドイツ人医師をはるかに上回る数のアメリカ人医師がやってきているということです。彼らのほとんどはプロテスタントの宣教師であり、医師として主に活動を進める医療宣教師と呼ばれる人々でした。ドイツ人医師が日本で活躍するのは20世紀の初めまでであったのに対し、彼らアメリカ人医師は20世紀に入っても、そしてアジア・太平洋戦争が終わったあとも来日し続けたました。そこで、医学史研究として本書が問うのは、「アメリカ人医療宣教師は、ドイツからの影響が大きかった日本の医学界において、なぜ活動を続けることが出来たのか」ということです。
 本書は主として医学史研究ではありますが、ミッション史、キリスト教史の研究でもあります。19世紀に入ると、アメリカやイギリスが世界中にキリスト教宣教師を送ることになります。彼らが新たにフィールドを開拓していく際、とくに活躍したのが医療宣教師たちでした。というのも、新しい土地では現地の人々はキリスト教という異教に対し警戒心を強く持ちましたが、医療宣教師は医療提供を通じ、彼らの警戒心を和らげ、うまく近づくことに成功したからです。そういった彼らの特徴を踏まえ、ミッションなどでは医療宣教師のことが「ドア・オープナー」と呼ばれることもありました。しかし、ここで1つの疑問が生まれます。確かに医療宣教師は新しい土地では先鋒として活躍していましたが、その土地でキリスト教伝道がスムーズに進められるようになったとき、医療宣教師の役割は小さくなってしまうのではないかというものです。そこで、ミッション史研究として本書が問うのが、「アメリカ人医療宣教師は、日本において宣教が進んでいく中、なぜ医療活動に従事し続けたのか」ということです。
 以上のように、医学史・ミッション史研究の観点から日本におけるアメリカ・プロテスタントの活動を分析することが本書の問題意識でした。次回からは本論を紹介していきます。