ASSHM例会(2013年7月13日、於:青山学院大学)

 本日、ASSHM例会にて中村江里さん(一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程)と一緒に報告させていただきました。僕の報告についての概要・議論などはまた別エントリにまとめるとして、以下では中村さんの議論について簡単に紹介したいと思います。

中村江里「日本陸軍と戦争神経症――軍隊教育・軍陣医学・傷痍軍人援護における処遇を中心に」ASSHM例会、2013年7月13日、於:青山学院大学

 日本の軍事史研究では、これまで軍隊と医療に関わるトピックは多くの関心が払われていませんでした。つまり、軍医などの存在は軍事史研究ではかなり周縁的な位置づけとなっていたのです。しかしながら、中村さんは軍医による医学言説などの分析を通じて、軍事史において医者たちが果たしていた重要な役割に注目します。とりわけ本報告では、日本陸軍における戦争神経症(今日ではPTSDと呼ばれうる精神疾患)をめぐる医師の言説に着目し、当時のその疾患をめぐる文化・社会的な側面を探ろうとしています。
 1936(昭和11)年に国府陸軍病院と改称された陸軍病院(その前身である陸軍教導団病院は明治32年に設立されている)は、1937(昭和12)年に第一次精神科病室を設置することで、戦争神経症に関する専門治療機関としての機能をもつことになりました。そこでは、そういった精神疾患に関する専門的な研究がおこなわれ、現に戦場で発生しているその疾患の原因や治療などが検討されたのでした。しかしながら、新聞や雑誌などでは、その専門的な医療施設があるにもかかわらず、日本の軍人は欧米とは異なり戦争神経症にかかることはないという神話が形成されていきます。たとえば、1939(昭和14)年の『読売新聞』では「皇軍に砲弾病(=戦争神経症)なし」という報道がなされていましたし、1943(昭和18)年の同新聞では軍医・早尾乕雄の言葉がひかれながら、ガダルカナル島の米兵がほとんど神経衰弱にかかっているが、日本軍はそうでないことが喧伝されていたのです。このように、戦争神経症に関する専門的な医療施設が設立された反面、メディアでは軍隊の士気を鼓舞するためにも、医師の発言が巧みに利用されていたのでした。

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