理想世界という極の途上としての文明:苅部直「文明開化の時代」(2014年)

苅部直「文明開化の時代」『岩波講座 日本歴史 15 近現代1』岩波書店、2014年、241–267頁。

近現代1 (岩波講座 日本歴史 第15巻)

近現代1 (岩波講座 日本歴史 第15巻)

 「文明開化」の一般的なイメージといえば、それはまずもって「西洋化」であると捉えられることが多い。たとえば、福沢諭吉の『西洋事情 外編』(1868年)は、英国のジョン・ヒル・バートン『政治経済学』(1852年)の議論を参考にして「文明開化」という言葉を用いており、その言葉を明治初期に流行させる契機となった。ここで著者は、文明開化という言葉を、文明と開化という二つに分けて分析を加えることで、その言葉が必ずしも「西洋化」とイコールではないことを指摘している。
 まず、「文明」という言葉は、『政治経済学』に出てくる"Civilization"という用語を福沢が訳出したものである。ここで注意しなくてはならないのが、福沢がそれを西洋の産物として捉えていない点、さらに、それを手放しに褒め称えてはいない点である。事実、この言葉自体は儒学経書に由来する。福沢は洋の東西を問わず、文明を人間の知恵と徳の両面が向上する過程であるとみなしていた。たとえば、文明が進んでいるとされる西欧においても、現に戦争は絶えずおこなわれているのであり、西欧もまた物質的な向上だけでなく、道徳的な向上がさらに必要だと福沢は主張する。そのため、「文明」という観点からは、西洋も日本(そして中国・朝鮮)もともに、世界平和という理想世界の極度への発展の途上に過ぎないと捉えられるのである。
 一方、「開化」という言葉もまた明治初期には一般庶民の心を捉えており、とくに洋学派知識人によって"Civilization"という言葉と重ね合わされながら好意的に受け入れられていった。たとえば森有礼は、開化を人間の知恵の活用によって生活がより便利なものになっていくものとして捉えている。しかし、文明と開化を主に物質的な充足という点のみによって捉えられてしまう風潮を、おそらく福沢は危惧していた。なぜなら、福沢は文明を知恵だけでなく徳の向上であると定義していたのであり、文明の極度に達するためには知識の発展と同時に道徳心の向上も目指さなくてはならないと考えていたからである。そのためか、福沢は『西洋事情 外編』では「文明開化」という言葉を用いていたのに対し、『文明論之概略』(1875年)では文明という言葉を開化という二語から引き離して用いている。このとき福沢は、開化という物質的な側面ばかりを強調する世間に対し、文明という言葉を用いることで、知識と道徳をともに向上させることの重要性を強調したかったのかもしれない。

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