メディアと精神科医の協働:佐藤雅浩「世紀転換期日本における精神医学的知識の通俗化過程」(2012)

 明治〜昭和期の精神医学の社会史を専門とする佐藤雅浩さんの最新論文が出版されていましたので読みました。

佐藤雅浩「世紀転換期日本における精神医学的知識の通俗化過程――新聞メディアにおける精神疾患報道を対象として」『年報 科学・技術・社会』21、2012年、37-68頁。

 日本では19世紀末から20世紀初頭にかけて、精神医学の近代化が進んでいった。これは、それまで「狂気」と呼ばれていたものが、西洋近代医学の知識によって「精神病」として捉え直されていく過程であり、社会学では「医療化」とも呼ばれる過程である。本論では、そのような精神医療史上の出来事が、19世紀から20世紀の世紀転換期において、メディアを通じてパラレルに大衆に広がっていった事態を明らかにしている。

 本論は主として、『読売新聞』と『朝日新聞』の両新聞データベースによりながら、精神医学言説が世間に浸透していく過程をみてとろうとするが、その際に特徴的なのは、新聞記事を「事件記事」と「衛生記事」とに分類している点である。狂気や精神病をめぐる新聞記事は、明治期前半より少なからず認められるが、その記事の大半は「事件記事」であった。そこでは、今日では社会面に載るような殺人・傷害・自死に関する記事が記載されており、「精神」などという言葉は使われるべくもなく、「狂気」や「気違」などの言葉によってが彼らの行動が説明されていた。
 しかしながら、明治20年頃より「衛生記事」と呼ぶジャンルの記事として精神疾患が記述されるようになっていく。そこでは、異常な行動の原因を脳という器質に求める西洋近代医学的な説明がなされている。例えば、1887(明治20)年前後には、国政医学会(のちの国会医学会)などの学会における講習会が数多くなされ、精神病学者が一般の人々に対し精神病の講釈を行っていた。そのような講演の内容は、新聞誌上にも掲載され、次第に人々の関心を集めるところとなった。そして20世紀初頭には、学会だけでなく、マスメディア側が主導して、通俗的な学術講演を企画するようになっている。
 世紀転換期には、上でみたような講演の記録による精神疾患の記事だけでなく、精神病院の内情を報道しようという新たなタイプの記事もあらわれてくる。例えば、「精神病院探訪記」は精神病者たちの日常的な生活をただ掲載したものであったし、「狂人譚」というタイプの記事はある特定の精神疾患の「奇妙さ」を伝えるものであった。これらの記事に共通してみられるのは、読者が精神病者たちを精神医学の「症例」として捉えることが前提とされている点である。このように、メディアを通じて、大衆の間でも精神疾患の医療化が進展していったのであった。
 最後に、著者は「事件記事」から「衛生記事」への変遷、あるいは、新聞記事における精神医学言説の増大という変化の理由を、メディアと精神医学者の協働関係に見出している。19世紀末には既に、精神病院の設立が精神科医によって世間に訴えられるようになっていたが、精神科医が病院に新聞記者らを招き入れることにより、そのような思いを広く人々に伝えようとした。そして、それが上で見たような「精神病院探訪記」というタイプの記事につながったのであった。一方、記者側としても精神科医らの希望に応えるように、紙面上で多くの精神病の記事を取り上げていくことになっていったのである。

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