Fujimoto, Hiro "The medicalization of disability in early modern Japan: the social and intellectual contexts of Chinese and Japanese medicine" (2012) [Woking Paper]

Fujimoto, Hiro "The medicalization of disability in early modern Japan: the social and intellectual contexts of Chinese and Japanese medicine," 2012 IOS-IASA Joint Workshop of Young Sociologists, March 19, 2012. (Conference Paper)

【加筆・訂正:2012/03/22 23:36】

 先のエントリでは「第3回若手社会学者のための国際共同ワークショップ」の概要について紹介いたしました。そこで、次にそのワークショップでの僕の発表内容とそれに対するフロアからの反応について記しておきたいと思います。

 今回の私の発表目的は、医療社会学における「医療化論」という概念装置を近世日本の医療に適用することで、近世の障害の医療化によって、身体障害者に対するスティグマがいかに形成されたかを検討することを目的としていました。同時に、その医学的知識の社会的背景についての考察を試みました。
 なお、発表に際しては、既に提出していたプロシーディング所収の論文よりも、理論的な部分を強調し、障害の見方の紹介に重点を置きました。つまり、「医学モデル」とよばれる身体の状態を「正常/病理」から捉え、障害者個人に問題を帰責する見方、「社会モデル」とよばれる社会の中で「障害者」がつくられるという見方、そして、障害に対する医療の社会史の研究から僕が学んだ、医療と社会との関係性を同時に見ながら障害を捉えるという視点について紹介しました。
 具体的な事例としては、鈴木則子「近世癩病観の形成と展開」藤野豊(編)『歴史のなかの「癩者」』(ゆみる出版、1996年)を参照しつつ、近世日本における癩者および身体障害者への医療の展開の比較を行いました。その結果、中世ではともに業病とされていた癩病と身体障害が、近世では前者は医療との結びつきを強め、後者は医療への包摂が比較的小さかったことを指摘しました。その理由として、狂言や見世物にみられる因果的障害観の持続、あるいは、儒者の障害者に対する窮民観の変化などを仮説的に提示しました。しかし、この点については検討が不十分であり、今後は儒教的思想と医療内容の結びつき、および洋学導入後の障害観の変化などが検討課題として残りました。
 発表に対していくつかご指摘をいただきました。まず、園田茂人先生からは、「医療化論」という概念装置を近世日本の東洋医学に適用することの意義がわからないと指摘されました。というのも、これまでの議論では主として「西洋近代医学」による「医療化」が問題となっていたからです。これに対する私の答えは、「医療化論」の採用によって、近代西洋科学だけでなく、近世の日本の医療においても医学的スティグマが形成されたことを明らかにするために、この概念装置を採用したというものでした。しかし、この点については、まだまだ理論的な整理を行う必要を感じました。
 また、羽田正先生からは「宗教」的要因という概念を導入し、宗教観による医療内容の変化を因果的に説明してしまうことの問題性を指摘されました。すなわち、「宗教」という至極近代的な概念をもって近世の日本の歴史を切り取ってしまうことの問題性についてです。この指摘も最もで、近世の医療において、知的コンテクストと宗教的コンテクストを截然と区別することの難しさは僕も感じており、それぞれが渾然一体となって知が構成されていたことをちゃんと述べるべきであったと思います。この点は、プレゼンに際して議論のわかりやすさを追求するあまり、知的/宗教的/社会的コンテクストと区分してしまい、非歴史的な結論を導いてしまったことを反省しています。 以上、的確かつ建設的なご意見を頂くことが出来、非常にありがたかったです。

 なお、Academia.eduに、本ワーキングペーパーを一時的にアップロードしておきたいと思います。興味がある方はお読みいただければ幸いです。もしコメントなどがあれば、コメント欄への記入あるいは藤本まで直接メールをいただければと存じます。
http://u-tokyo.academia.edu/HiroFujimoto/Papers
Now temporally available in Academia.edu