生物学史研究会「中川保雄『<増補>放射線被曝の歴史』合評会――放射線被曝の歴史をどう読み書くか」(2012年2月11日 於:東京大学駒場キャンパス)

土曜日に行われた生物学史研究会「中川保雄『<増補>放射線被曝の歴史』合評会――放射線被曝の歴史をどう読み書くか」(2012年2月11日 於:東京大学駒場キャンパス)は、約25名の参加者が集まり、大盛況となりました。参加者は科学史業界以外の方も多くみられ、このトピックが広く社会にとって関心のあるものだと再認識しました。そのため、ここに簡単にではありますが記録を残しておきたいと思います。(以下、敬称略)

発表とディスカッション

瀬戸口からは、科学史という観点から中川本の長所・短所について評価がなされました。とりわけ、放射線被曝の歴史に関する、日本語で読める唯一の通史であるということを高く評価しつつも、中川が「政治的」と呼ぶ基準設定の過程について、もう少し実証的に示して欲しかったと指摘しました。
(実際、中川本には参考文献はしっかりと付されていますが、本論には脚注がなく、どこからの引用なのかが判然としない部分が多々ありました。これは、『科学史研究』に投稿された論文のときでも同じだったそうで、出典の明確な指示はなかったようです。)
上田は、放射線被曝の基準について、最近の科学的知見も含めながら、中川の議論を敷衍しました。また、コスト・ベネフィット論に対する評価に関して、中川の提言する基準値が妥当、現実的であるかについて問題提起を行いました。
高橋は、瀬戸口が感じていた違和感、つまり中川が「政治的」とする断罪する議論が、しっかりと出典が明示されてないことについて、氏のこれまでの歴史研究を踏まえながら、米国の原子力体制がはらむ「政治性」を実証的に示しました。

ディスカッションでは、まず、ICRPの進めるコスト・ベネフィット論への懐疑をフロアで共有しつつも、上田が提起したように、現実的な基準の選定はいかに可能かが問われました。この点については、フロアからリスク論研究との協働を指摘する声があがりましたが、今回はSTS分野からの参加者があまり見られなかったため、リスク論の概論が説明されるにとどまり、詳しい議論は行われませんでした。
次に、中川の歴史記述自体がもつイデオロギー性について議論が及びました。すなわち、ICRPをはじめとする米国(日本)における放射線防護基準の設定の際の「イデオロギー」を描く中川自身が、それを示そうとするあまりデータ典拠を明示することを欠いたイデオロギー的なものになっている、という議論です。この点については、歴史を専門とする参加者から、米国立公文書館などの公開されているデータをもとに、実証的に示すことが求められるだろうと議論されました。
その他、多岐にわたる問題が議論され、終了時間を大幅に延長されるなど、白熱した議論となった。

感想

以下、簡単に個人的な感想を書いておきます。
科学史を専攻する者として、僕が中川本を読んでいるときに抱いていた違和感は、ほとんど瀬戸口さんと一致していました。もちろん、中川の議論をイデオロギーまみれであると切り捨てようとするのではありません。本書が放射線被曝に関する医学的知見を、御用学者などの立場ではなく歴史家的な視点から捉えたはじめての書で、今日でも十分読む価値があるのは疑いようのない事実です。これまで、放射線被曝の基準設定などについて、それがどのようなものなのかを科学者が市民に教えるという、いわゆる欠如モデル的な立場に立った書籍はあったと思います。しかし、中川はその基準が「作られる」過程がいかに政治と結びついているか、さらには歪曲されているかを示したという点で画期であったのです。いわば、日本初の「放射線被曝の政治学」に関する研究書といえるでしょう。
しかし、瀬戸口さんも指摘していたように、1991年に本書が出版されて以降、科学史STS科学技術社会論)における科学の捉え方は大きく変化しました。それを踏まえるとやはり、中川の歴史記述の方法は乗り越えられるべきものと言えるでしょう。

具体的に記すと、第一に、瀬戸口さんも指摘していましたが、ここで描かれる科学者像が単純すぎるように思えました。本書では、X線照射による突然変異を発見したノーベル賞受賞者のハーマン・J・マラーは、放射線被曝に対して、当初、その危険性を主張する論客であったとされていましたが、その後、結局国側に取り込まれてしまったということが指摘されていました。それは、アメリ原子力体制の強力な政治性の証左とされていますが、しかしながら、反対派の科学者がいかに体制側に取り込まれていったかをより詳細に記述することは必要なのではないでしょうか。というのも、マラーたちにはおそらく、科学的あるいは個人的な葛藤があったはずです。そして、分野によっては、放射線被曝に関する言説への親和性が高いものもあれば、そうでないものもあるはずで、それらを踏まえた上で科学者集団ごとの多様性、あるいは科学者個人の葛藤などについて、もう少しつっこんだ議論して欲しかったところです。
第二に、これも瀬戸口や他の歴史研究者たちの問題意識と関わりますが、「資料をどうするか」という点です。そして、このことはディスカッションで主として議論された2点とも重なります。つまり、ディスカッションの第一のトピックで、ICRPの提示するコスト・ベネフィット論に対する批判が目立っていましたが、そこでは残念ながら、人の命を金銭的価値に置き換えるのは非倫理的であるという議論で留まってしまっているように思えました。それは多くの人が同意する事項だと思いますが、やはり、その「非人道的」な基準の設定がいかになされたのかを、資料と付き合わせて詳しく検討することがまずは必要なのではないかと感じました。
より具体的にいうなら、ICRPの関連資料が開示されていないためそれらが議論されていないのか、それとも、資料はあるが放射線被曝の専門家などに比べ社会科学の専門家(ここでは、コスト・ベネフィットの計算を行う経済学者)による検討が少ないのか、ということをまず明確にしたいところです。
前者であれば、今回の研究会から得られる結論は、資料開示に向けて動き出す重要性について論じることであったでしょう。事実、ABCCなどの機密情報が開示されたことをきっかけとして、叙上のように、高橋はABCCがもっていた「政治性」について実証しています。(こちらについては、以前のエントリで高橋さんの発表をまとめたものがありますので、参照下さい。→http://d.hatena.ne.jp/fujimoto_daishi/20111121/1321864439)また、最近のHamblinの研究では、BEAR報告(1956年)などの分析も進められています。
後者であれば、経済学者も当然彼らのもつパラダイムがあり、それに準じて政策決定を行っているはずですので、今回のディスカッションであったように経済学者の展開する議論を政治的なものとして一蹴するのではなく、まずは彼らの論理を具に追っていくことが必要なのではないでしょうか。そうすることで、自然科学者と社会科学者が用いる「言語」の違いが見出されるでしょうし、それを知ることで両者がより円滑に意思疎通を行うためのヒントを得られるかもしれません。
つまり、まずは歴史研究者の間で、どのような歴史資料が利用可能で、どのようなタイプの歴史資料が分析されていないのかを共有する必要があるように思えます。その上で、例えば1977年にICRPが展開したコスト・ベネフィット論などの「政治性」について、その社会科学的背景を考慮した上で、分析していくべきではないでしょうか。

まとめると、今回は、「放射線被曝の歴史をどう読み書くか」と銘打たれた会であったこともあり、個人的にはSTSやリスク論との関連について議論されるよりも、むしろ、歴史を専門とする者がどうこれから歴史記述を行えるか、という点に主眼が置かれると思っていました。しかし、実際は想像していたものよりも議論が少々前者に偏っていたのが残念でした。
しかし、明らかに研究蓄積の薄い「放射線被曝の歴史」というトピックについて、関心のある歴史研究者が今回これほど集まれたことは、今後、この研究領域の発展を期待させるものであったことは疑いのない事実でしょう。今後もまた、関連したトピックで研究会をやりたいですね。

参考文献

最後に、今回の研究会の参考文献を載せておきます。

放射線被曝の歴史に関する文献(瀬戸口レジュメからの抜粋)
・J. Samuel Walker, Permissible Dose: A History of Radiation Protection in the Twentieth Century, University of California Press: Berkeley, 2000.

Permissible Dose: A History of Radiation Protection in the Twentieth Century

Permissible Dose: A History of Radiation Protection in the Twentieth Century

・Soraya Boudia, "Global Regulation: Controlling and Accepting Radioactivity Risks ," History and Technology, 23(4), 2007: pp. 389-406.
・Jacob Darwin Hamblin, "‘A Dispassionate and Objective Effort:’ Negotiating the First Study on the Biological Effects of Atomic Radiation," Journal of the History of Biology, 40(1), 2007: pp. 147–177.

今回の発表者である高橋さんの『封印されたヒロシマナガサキ』が増補版として再刊されるようです。こちらも楽しみですね。
高橋博子『封印されたヒロシマナガサキ――米核実験と民間防衛計画』〔新訂増補版〕凱風社、2012年。

〈新訂増補版〉封印されたヒロシマ・ナガサキ

〈新訂増補版〉封印されたヒロシマ・ナガサキ

・市民と科学者の内部被曝問題研究会(編)『内部被曝からいのちを守る――なぜいま内部被曝問題研究会を結成したのか』旬報社、2012年。
内部被曝からいのちを守る なぜいま内部被曝問題研究会を結成したのか

内部被曝からいのちを守る なぜいま内部被曝問題研究会を結成したのか