「応用科学」という見方と技術と技術史の自律性:Alexander "Thinking Again about Science in Technology" (2012)

 今週木曜日にせまったIsis Focus読書会ですが、担当部分をまとめました。なお、読書会についての詳細は下記サイトで。もちろん、どなたでも参加可能ですので、興味のある方は是非。

http://d.hatena.ne.jp/hskomaba/20121112/1352725970
http://www.facebook.com/events/503183753033713/

Jennifer Karns Alexander, "Thinking Again about Science in Technology," Isis, 103(3), 2012, pp. 518-526.
http://www.jstor.org/stable/10.1086/667975

※誤訳・意味の取り違えを訂正:11月29日1時07分更新

 技術史家にとって、科学と技術の関係をいかに特徴付けるかは長年の課題であった。ポール・フォアマンが現代社会における科学の技術に対する優越性を主張して以降、「応用科学」という言葉をめぐって、技術史は科学史との対立関係をより強調するようになっている。つまり、技術史家は応用科学という概念を拒否することで、科学から独立した技術特有の自律性を描こうとしてきたのである。しかし、本稿で著者はあえて応用科学という言葉を用い続けることで、技術史に対するその言葉のもつ積極的な意義を提示しようと試みている。

 まず確認されるのは、これまでに科学と技術の関係がどのように捉えられてきたかについてである。これについて最も多くの論争を巻き起こしたのは、科学と技術の定義についてフォアマンの議論であろう。彼はまず科学について、純粋科学の知識を知識たらしめているのは、それがある目的にとって有用だからではなく、その知識と結びついた手段や方法が適切だからであるとした。次に技術について、技術は自らの目的を生み出したり、正当化したりできず、科学への従属的な性格を必然的に伴うということを対比的に述べた。フォアマンの以上のような科学と技術に対する見方は、技術を科学に対して従属的な「応用科学」と捉える見方と重なり合っており、多くの人々が素朴にいる。
 この応用科学という概念は、おおよそ、科学と技術の対立、技術の従属性、あるいは科学のリニアモデルを前提とする文脈で種々に定義されてきた。その第一の例としては、科学の認知的な優越性を認めるという定義である。たとえば、長年『技術と文化』誌の編集をおこなっているスタードゥンマイヤーは、現代の技術は科学理論が前提となっていると捉えた。第二の例は、科学が技術に対して時間的に先立っていることを強調する定義である。これらは技術哲学者のミッチャムやブッシュ・レポートなどにみられ、特にヴァネヴァー・ブッシュはリニアモデルに基づき、基礎研究は応用科学に先立つとする考えをもっていた。
 一方、上でみたような前提に立たず、応用科学の定義を試みる事例もある。すなわち、第三の事例としてあげられるのは、応用科学を単にその有用性や実用性を強調して定義するというもので、ウェストフォールやクラインの議論で確認出来る。特にクラインの定義は高度な認知的活動の多様性を認めることで、技術は科学に対して従属的であり、科学が必要条件であるとする見方ではない捉え方示した。クラインの定義は、上の二つの定義が技術史家から強い批判にさらされていたこと鑑みると、よりポジティブな広がりを持ったものであると言え、技術史家が応用科学という言葉を用いつつ、新たな議論をおこなえる可能性を示唆するものであるといえる。

 しかし、その可能性について論じる前に、応用科学というタームをめぐって技術史家が直面しうる二つのリスクについて確認しておきたい。第一は歴史的なリスクである。技術史家は応用科学というタームを放棄すると、技術史家を技術史家たらしめている文化的コンテクストの重要な部分を認識することができなくなってしまう恐れがある。つまり、技術の自律性にばかり注目することは、科学と技術の関係性を見落としてしまうというリスクが生まれるのである。たとえば、技術史家を中心として、最近の科学技術を応用科学ではなく「テクノサイエンス」と表現することがあるが、その新しい概念によって科学技術と文化、および、科学と技術の相互依存の関係を示し、一つの新たな領域を提起することができた反面、それによって逆に、科学と技術の間の関係性について論じることを難しくしてしまっている。
 第二のリスクは歴史叙述的なものである。技術史家たちは応用科学という言葉を用いることで、技術の自律性のなさを認めてしまい、技術の認知的な固有性について論じることができなくなってしまうことを恐れている。確かに、1950年代から60年代に技術史という分野を作り上げた世代の者たちにとって、技術を科学から解放する、すなわち、技術的知識の特徴を描くことは最大の目標であると考えられていた。しかし、1970年代中頃からそういった姿勢は次第に減退し、むしろ、科学と技術の相互作用に対する関心が増していったのもまた事実である。さらに80年代には、レイトンが応用科学という見方ではなく、科学と技術の相互作用モデルという見方を提示し、さらにクラインが技術的知識の独特な認知形態のありかたを、科学理論などの言葉によってだけでなく、工学的理論などによっても定義する必要性を論じている。つまり、技術は自律性をもちつつも、その自律性は科学のそれと関連し合っているし、また、自律性の相互作用を前提としても技術史家の自律性が奪われることにはならないのである。

 著者は特にクラインの提起した見方に賛意を示しつつ、最後に、あえて応用科学という言葉を使うことで得られるメリットについて説明をおこなう。実際のところ、工学や工学教育という場においては、現在もなお応用科学というカテゴリは有用であり続けている。ここでは特に、応用科学としての工学に着目し、それが技術史と深い関係性をもっていたことをみてみたい。第一の例は、戦後アメリカの工学教育における基礎科学という領域の影響力の大きさと関連する。たとえば1950年代後半には、エンジニアリング工学がより基礎的な科学に基づいていることを強調すること、つまり、応用科学的であると特徴付けることで、エンジニアリング科学に対する研究基金の必要性が正当化されたのである。第二の例は、応用科学という見方が工学教育と結びついたことにより、技術史という学問分野にも多くの影響をもたらしたという事例である。つまり、1950年代後半以降、それまで歴史家があまり注意を払っていなかった科学と技術の違いに関する議論を、工学者が喚起したことにより、その後の技術史における豊かな議論へとつながったのである。このことからは、技術史という学問分野は科学史との対立において発展したのではなく、1950年代後半に科学史学会や技術史学会、さらには工学教育が併置される形で進展していったという事態を指摘できる。
 以上のように、これまでは応用科学をめぐって技術史家と科学史家の対立が強調されてきたが、クラインの提起した見方を踏まえると、応用科学というタームが技術史にとっても有益であることが確認出来る。実際、最近の工学史研究では工学教育に対する関心が集まっているし、工学教育は技術史と関連すると考えられている。たとえば、工学部で現在必要とされている適格性認定のための倫理トレーニングを多くの技術史家がおこなっているし、2004年の『技術と文化』誌では工学史研究の目標の一つは工学者にとって有用な歴史を描くことにあるとされ、国際工学研究ネットワークという新たな学会まで作られることになった。つまり、応用科学は技術史および技術史家にとっても意義のあるタームなのである。

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