ハンセン病文学と語りの可能性:佐藤健太「ハンセン病療養所で文芸同人誌を読むということ」(2012)

 『FLOWORDS』という雑誌にハンセン病に関する短い文章が載っているのを研究室の先輩経由でたまたま知りました。以下、簡単にではありますが、同論考の紹介をさせていただきます。ちなみに、『FLOWORDS』は双葉文学カフェによって編集され、先の第15回文学フリマ(2012年11月18日)で頒布された文芸同人誌です。

佐藤健太ハンセン病療養所で文芸同人誌を読むということ」『FLOWORDS』Vol. 4、2012年、74-76頁。
http://d.hatena.ne.jp/FLOWORDS/20121110
(まだ残部があれば、上記サイトから購入できるはずです。)

 医学史という学問領域では、山本俊一および藤野豊による研究を嚆矢として、現在に至るまで多くのハンセン病史研究が積み重ねられてきた。特に最近では、廣川和花によって生存の歴史という観点から新たなハンセン病史を描く試みがなされ、この研究分野における一つの画期となった。廣川は藤野らが前提としていた「犠牲者としてのハンセン病者」という史観から距離を取り、ハンセン病者個人の主体性に注目することで、医療や行政の範疇におさまらないハンセン病者の生存の歴史を描ききった。このように、昨今のハンセン病に関する研究では、国家や医者の視点からハンセン病者を描くのではなく、病者自身の体験に注目するという問題意識が共有されはじめている。
 本論考の著者・佐藤の問題意識は、このような研究動向と多くの点で共振しうるものである。つまり佐藤は、ハンセン病患者たちの残した小説や随筆などの文学作品を講読することを通じて、戦後のハンセン病者をめぐる実態を思い起こそうとするのであった。この活動は静岡県御殿場市にある国立駿河療養所において、現在もまだ継続されているが、このような試みの背景には、佐藤が感じた同療養所へ訪れる者の意識の変化と関係している。すなわち、2001年の「ハンセン病違憲国家賠償訴訟」以降、多くの人々が療養所を訪れるようになり、大衆のハンセン病に対する関心が増加する一方で、訪問者のなかには国の悪しき政策の犠牲者として施設利用者を捉えようとし過ぎ、彼らの生活を一面的にしかみることが出来なくなってしまったというのである。そこで、佐藤は友人や同施設の自治会長らと作品を読むことで、医療や行政との関連においてでなく、当時のハンセン病者の様々なレベルの生活実態を見つめ直すことを目標とし、この活動を開始したのであった。
 実際、佐藤によるこのような取り組みは、当時のハンセン病をめぐる状況について、新たな一面を浮かび上がらせることを可能にした。中でも興味深いのが、作品の講読を通じて、施設利用者の記憶が呼び起こされ、これまでに聞いたことのなかった話を聞くことができたという記述である。このことはおそらく、「隔離」の「犠牲者」としてハンセン病者を捉え、聞き取り調査をおこなった場合には起こりえなかった事態であろう。また、施設利用者も自らをそういったフレームに無意識的に当てはめ、その枠外に出るような発言をためらうこともあっただろう。つまり、文芸作品に描かれた当時の状況(事実であれ、フィクションであれ)を知ることを通じて、施設利用者が隔離や犠牲などの押しつけられた枠組みにおさまらない発言を行うことが可能になったのである。
 このように、駿河療養所における佐藤らの活動は、戦前・戦後のハンセン病者の実態についてより総体的に捉えることを可能にしており、その点で非常に重要な活動である。しかしこの紙数では、その活動についてまだだま語られていないことが残っているだろう。そのため、今後も佐藤によるこの取り組みの成果を、様々な媒体を通じて知り続けたいと強く感じた。
 ということで、どんどん書いてくださいね、佐藤さん(^^)/

参考リンク・文献

佐藤健太さん(@jokyouju )Twitterアカウント

https://twitter.com/jokyouju
駿河療養所に残る作品を読むことに関心を持たれた方は、是非一度佐藤さんにコンタクトをとってみては!?

国立駿河療養所

https://www.hosp.go.jp/~suruga2/

ハンセン病文学全集〈第1巻〉小説1

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近代日本のハンセン病問題と地域社会

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隔離の文学―ハンセン病療養所の自己表現史

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日本らい史

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