ハンセン病・被爆者・キリスト教:風見治「鼻の周辺」(1987)

 本日、今回で2回目となるハンセン病文学読書会に参加してきました。今回は風見治さんによる「鼻の周辺」(1987)という短編小説を読みました。
 著者の風見治さんは、1932年に長崎市に生まれ、1934年にハンセン病を発症しています。その後、1952年から熊本県の菊地恵楓園に入所し、1962年には鹿児島県の星塚敬愛園に移っています。また、1958年に島比呂志さんによってつくられた文学同人「火山地帯」に参加し、文芸活動をおこなってます。本作品「鼻の周辺」は、1986年の第17回九州芸術文学賞の公募に出された作品で、同賞の最優秀作を受賞し、翌年には『文学界』(文藝春秋)にも掲載されたそうです。
 以下、本日の読書会での議論も踏まえ、本作品の紹介を。ネタバレ注意。

風見治「鼻の周辺」加賀乙彦ら(編)『ハンセン病文学全集 2 小説2』皓星社、2002年、239–260頁。

初出:『九州芸術祭文学賞作品集』17号、1987年。
再録:『文学界』1987年。
再々録:風見治『鼻の周辺』海鳥社、1996年。

 1966年冬、主人公・松浦は、ハンセン病により失った鼻を形成手術によって作るために、田舎の九州から埼玉のとある療養所へやって来た。そこで造鼻手術を受けた松浦は、完璧とは言えないまでも自分の鼻を獲得し、九州に戻っていく。鼻がないことに対して劣等感をもっていた松浦であったが、鼻ができたことで自信を徐々に取り戻していく。しかしそれは長くは続かなかった。というのも、博多での娼婦との出会いや帰省時に母から浴びせられた言葉をきっかけに、鼻の修復手術を受けたことに対する疑念が芽生え始めたからである。そんな中、松浦は埼玉の療養所での対照的な二人の人物との出会いに思いをはせる。すなわち、息子の結婚式に出るために鼻の修復手術を受けた高田と、松浦や高田が修復手術を受けることを嘲笑していた木崎である。当初、松浦は同じ手術を受けた者として高田へシンパシーを感じており、一方、鼻を治したところで癩者は癩者であるとする木崎の考えに対してやや距離を取っていた。しかし、物語のクライマックスで、造鼻手術を受けながらも家族に受け入れられなかった高田が自殺してしまったことを知った松浦は、かつて木崎が言っていた癩者の救いのなさを実感することになるのであった。

 本作品を読んでまず興味深かったのは、ハンセン病者と長崎の被爆者を関連づけた点であろう。このことは長崎出身の著者が地元で被爆者を多く見知っていたことに関連するのかも知れない。たとえば、帰りの電車で主人公が出会った老夫婦は、長崎に向かっていると言った松浦の顔や体の損傷をみて、それが原爆によるものだと誤解をした場面が描かれている。また、主人公が博多で出会った娼婦は被爆者であり、彼女の体には爆風によって突き刺さったガラスの破片が残されていた。ここには、主人公は手術によって鼻をつくったが、彼女は手術によって敢えてそれを取り除こうとはしなかったことが対比的に示されている。治療をしたものとそれを拒絶した者、この物語はまさにその対比を中心に描かれているのである。
 また本作品では、キリスト教や神の信仰などのトピックも描かれており興味深い。たとえば、老婆から娼婦を斡旋されるシーンで、自らを「放蕩息子の帰宅」という絵画に描かれた男になぞらえる場面がある。この絵画はルカ福音書のあるシーン、すなわち、父からもらった財を娼婦などに使い込んだ男が、みすぼらしい姿となって父の元に戻って来て、許しを請う場面をモチーフとして描かれたものである。松浦はまさにこの男と自らを重ねているのである。また別の例としては、自殺した高田について、主人公が「彼が癩になり神への信仰をもったときから、〔自殺という悲惨な結末が〕あるいは用意されていたことかも知れなかった」と語っている点である。ここにもまた、治療だけでなく信仰をも突き放して考えるようになる、主人公の変わりゆく姿が描かれている。 

関連文献

鼻の周辺

鼻の周辺

ハンセン病とキリスト教

ハンセン病とキリスト教