東洋文庫講演会(2013年7月7日、於:東洋文庫)

 駒込駅近くにある「東洋文庫」は、アジア全般の歴史や文化に関する書物を多数所蔵する東洋学のセンターです。そのミュージアムでは、今月末まで「マリーアントワネットと東洋の貴婦人――キリスト教文化をつうじた東西の出会い」(会期:2013年3月20日〜7月28日)という特別展示をやっており、キリスト教の16世紀における日本への布教活動、その後の東南アジア・中国への布教活動に関する資料や図像が数多く展示されている充実の特別展となっておりました。幅広い世代の多数の観覧者が来られており、展示会は大盛況の様子でした。これは、あの大人気キャラクター「くまモン」が来庫していたことの効果もあったのでしょう。
 さて、今回はこの特別展示の関連レクチャーとして、キリシタンの世紀に関するお二人の方の報告を聴講してきました。以下、簡単にその参加記を。

 岡美穂子先生(東京大学助教)の「パリ外国宣教会とキリシタンの宗教画」は、17世紀から19世紀までの長崎における隠れキリシタンたちの実態を、モノという観点から捉えようとするものでした。キリスト教禁制後の元和8(1622)年、長崎の大村に宣教師が来た記録が残っています。ここで注目すべきは、彼らが17世紀の日本に率先して布教をおこなったイエズス会士ではなく、ドミニコ会フランシスコ会などの托鉢修道士であった点です。その際、神父がいないために懺悔をやりづらい地元の人のために、彼ら托鉢修道会士たちはロザリオやメダイなどの「聖なるモノ」を特権者に与え、それを信仰の対象に変えさせたのでした。このとき信仰の対象となったのは、メダイなどの装飾品だけでなく絵画も含まれていました。実際、長崎の外海という地域には、托鉢修道会のモチーフが描かれた「マリア十五義」(実物は空襲により焼失;中山文孝による模写が現存)や「聖母史像」(現在はパリ修道院所蔵)が残っており、この地域における「聖なるモノ」への信仰の強さがうかがえるのです。
 モノに対するこのような着目は、キリシタン研究に新たな視点を提起するかもしれません。このあたりは僕のスペキュレイションになりますが、たとえば、「聖なるモノ」が入ってくる前と後では、宗教共同体における権力構造の固定性・流動性に変化が生じるのではないでしょうか。それまでは、キリシタンの共同体のなかで権威をもつ者は、ミサや祈りをよく知っている者だったのでしょう。一方、メダイやロザリオはその地域の権力者に与えられたとは言え、それは知識に比べて比較的移動しやすいため、もしかすると、これにより宗教共同体の流動性を高めることになったかもしれません。
 根占献一先生(学習院女子大学教授)の「細川ガラシャと同時代を生きたイタリア女性たち――天正遣欧使節が出会った人、出会わなかった人」は、16世紀後半に遣欧使節が派遣されたときのイタリアの社会・文化状況を描き出すものであり、氏の博識が存分にあらわれた報告でした。天正10(1582)年、九州のキリシタン大名である大友宗麟らによってヨーロッパへと派遣された伊東マンショらたちは、1585年にイタリアへと足を踏み入れます。そこで彼らは、異国人でありながらも見事にキリスト教的規範を身に付けていたために、イタリアの人々を非常に驚かせたのでした。トスカーナではメディチ家が彼らを歓待しましたが、一方でこの年のメディチ家は不運な事態に見舞われていました。初代トスカーナ大公・コジモ1世(1519–1574)の娘婿で、ブラッチャーノ公国のパオロ・ジョルダーノ・オルシーニ(1541–1585)が暗殺されたのです。とかく天正遣欧使節の眼から描かれがちな当時のヨーロッパ像ですが、根占先生の報告は彼らが出会った人物や訪れた場所だけに注目するのではなく、その当時の社会状況を多角的に描き出そうとした点で非常に勉強になる報告でした。

関連エントリ・文献

@_khmtさんによる根占報告のTwitLonger

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