静岡・満州・熊本におけるハンセン病者とキリスト教者:杉山博昭『キリスト教ハンセン病救済運動の軌跡』(2009)#2
杉山博昭『キリスト教ハンセン病救済運動の軌跡』大学教育出版、2009年、83–142頁。
- 作者: 杉山博昭
- 出版社/メーカー: 大学教育出版
- 発売日: 2009/08/10
- メディア: 単行本
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「第二章 飯野十造のハンセン病救済の行動と思想」では、静岡および満州でハンセン病者の救済を訴えた、飯野十造という人物の活動が紹介される。あまり有名でないこのキリスト教者は、ときに日本MTL(日本救癩協会)でハンセン病者救済運動のリーダー的存在であった賀川豊彦と比せられる。しかし、飯野には賀川ほど確立した神学思想がなかったと考えられる。逆に言えば、体系的な神学思想を持ち合わせていなかったからこそ、飯野は一見あまり結びつきそうにもない事業を複数やりとげたと著者は指摘するのであった。
飯野は救世軍、メソジスト教会などに一時入っていたが、1922年より独立して単立教会静岡其枝基督教会の牧師として活動を開始した。1925年頃よりハンセン病救済活動をおこないはじめ、1925年に日本MTLが設立されると、その翌年に静岡支部を結成し、その実質的な運営者となった。静岡県では安倍川河川敷にハンセン病者が集住していたが、飯野はそこを再三訪れることで彼らと信頼関係を構築し、療養所への入所を説得したのであった。この点に関して、飯野もまた国と同じように患者の隔離政策を支持していたため、その救済運動が否定的に捉えられることが多い。しかし、国が強制的にそれをおこなおうとしたのとは反対に、あくまで患者への同情心にそって穏健に説得するべきであると考えていた点で、彼はキリスト教精神に基づいた信念を貫き通したと言える。
では、なぜ飯野はどのような思想に基づき、救済運動に尽力したのだろうか。彼の思想的な特徴は、「愛」の大切さを繰り返し説くことにあるが、愛が何なのかを思想的に示すことはなかった。代わりに、ただ愛を実践することを重視していた。その実践を通じて、飯野はハンセン病者の隔離が進められ、国家が強くなっていくと信じたのである。ここには彼特有の国家観、すなわち信仰と国家を連続して捉える思想がみてとれる。飯野は神と皇室を二重に信仰しており、それゆえ、キリスト教思想を実践し、人々に広げていくことが、国家の繁栄につながると説いたのであった。
「第三章 熊本におけるキリスト者の行動」では、日本MTLの地方組織として1934年に設立された九州MTLと、その中心的な人物である宮崎松記・潮谷総一郎・江藤安純という三人のキリスト者の事績が評価・検討されている。その団体は他地域のMTLよりかなり遅れて設置されたが、その分、設立後は活発な活動がおこなわれた。その活動を担ったキリスト者たちは良心的な考えに基づいて患者救済をおこなったが、彼らもまた国が進める強制隔離政策の枠内から出ることはできなかった。
熊本という地域はハンセン病と関わりが深い地域である。たとえば、加藤清正が熊本市内の本妙寺で祈願し、癩が癒えたと言い伝えられており、患者がこぞって本妙寺を訪れたのであった。「癩予防ニ関スル件」(1907年)を受け、1909年には連合県立九州療養所(現、菊池恵楓園)が設立された。一方、ハンセン病者とキリスト教との関連について言えば、ハンナ・リデルによる回春病院および修道会シスターたちによる待労院といった、民間のキリスト教者による患者救済が有名である。そのため、民間のキリスト教団体の九州MLTも、一見、回春病院などから派生して生み出されたと考えられるかもしれない。しかし実際のところ、それまでにハンセン病救済にコミットしていなかったキリスト教者によって、九州MLTの設立は進められたのであった。その中心メンバーである江藤が残した議事録によれば、九州MLTの活動内容は、回春病院・九州療養所の支援や本妙寺での救済であった。同時にビラ配布や講演会を通じた市民への啓発活動にも精力的で、貞明皇后の短歌を引き合いにだしながら、自ら事業を「陛下の大御心」と結びつけて宣伝することなどもおこなっていた。
熊本におけるハンセン病問題としては、1940年の本妙寺事件および1954年の龍田寮事件という悲惨な人権侵害が知られている。前者は警察が強制的に本妙寺地域に集住していたハンセン病患者を強制撤去したものであり、後者は未感染のハンセン病患者の子どもが地域の小学校へ進学することをPTAが反対したものである。両事件はその主体が警察および学校であることから、先行研究ではしばしば地域行政に焦点を当てた分析が進められてきた。それに対し著者は、これらの事件のなかで、民間のキリスト教団体である九州MLTが占めた位置を確認している。前者では、撤去以前より本妙寺で患者救済をおこなっていた九州MLTの潮谷が、療養所への患者強制隔離を支持し、警察の強制撤去を推進しようとした。ただし、そのときに潮谷は患者の人権にも十分配慮しており、施設でその権利が踏みにじられたときは、声をあげてそれを批判したという。後者では、渦中の小学校に子どもを通わせていた九州MLTの江藤が、数少ない通学賛成派としてPTAの説得運動をおこなっており、潮谷もまた通学反対派を強く批判している。人権擁護者としての二人のキリスト者を著者は高く評価しているが、一方で、通学反対派がハンセン病に対するネガティブなイメージをもっていた背景には、九州MLTの隔離政策推進運動およびその啓蒙運動があったと著者は指摘しており、そのため彼らの活動は限界を有していたと結論づけている。
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