要旨・文献リスト:藤本大士「近世後期の秋田院内銀山における医療環境」日本医史学会総会・学術大会(2012年6月16日、於:獨協医科大学)

 先月おこなわれた日本医史学会での僕の発表要旨と文献表を掲載します。なお、以下に掲載する要旨は、『日本医史学雑誌』「第113回 日本医史学会 総会抄録号」58(2)、2012年、184頁に所収されているものと同じものです。また、参考文献は発表当日のレジュメに掲載したものです。

藤本大士「近世後期の秋田院内銀山における医療環境――『門屋養安日記』を手がかりとして」日本医史学会総会・学術大会、獨協医科大学、2012年6月16日。

要旨

 近世日本医療史研究では、昨今、医療を存立させうる社会・文化的背景への関心が高まっている。近世特有の社会・文化構造を強調するため、「医療環境」(海原亮)とも呼ばれるこのような視点は、近世の医療の実態をその医療内容から捉えるのではなく、その背景にある多様な事象を含んだ上で捉えることの重要性を指摘した。そこで、本研究報告では近世後期の秋田院内銀山における医療制度に注目することで、藩・鉱山経営者ならびに鉱山労働者の医療観を記述することを試みる。
 院内銀山最初の抱え医である門屋養安は、天保6(1835)年から明治2年(1869)まで『門屋養安日記』(茶谷十六・松岡精編『近世庶民生活史料 未刊日記集成』第1・2巻、三一書房、1996-1997年)を記しているが、その中では銀山町の住人への診療活動や、鉱山経営者との交流、さらには趣味人として文化・芸能を嗜む様子など、実に多彩な養安の姿が描かれている。
 『門屋養安日記』を用いた先行研究では、文化人としての養安の活動を記述したものや、鉱山町の実態を分析したものが中心であり、医師としての養安の医療について検討したものは多くない。そんな中、養安の医療実践に注目した数少ない研究として、莇昭三による一連の研究報告(日本医史学会および北陸医史同好会)が挙げられる。莇は院内銀山での受療者・死亡者の数的把握や薬の購入経路などの医療実務を分析し、養安の医療実践に関する基礎的事項をまとめあげている。しかしながら、莇の主眼は養安を中心とした医療実態の把握にあるため、藩・鉱山経営者・鉱山労働者たちが養安の医療をいかに捉えていたかについては検討されていない。そこで、本報告では医療制度に注目することにより、藩・鉱山経営者・鉱山労働者の医療観を記述することを試みる。
 まず、藩・鉱山経営者が、院内銀山での医療をいかに捉えていたかについて考察する。具体的には、天保期に開始された「抱え医」という身分が、秋田藩でどのような身分的位置づけにあったのかについて検討を行う。近世社会において、公儀(幕府・藩)による民衆への恒久的な医療政策はほとんどみられないということは先行研究によって指摘されているが、『門屋養安日記』にみえる抱え医という制度は、鉱山労働者たちへの恒久的な医療活動として捉えることが可能であろう。つまり、院内銀山での医療に着目することによって、従来の研究では指摘されてこなかった、藩による医療政策の新たな側面を記述することが可能になると考えられる。
 次に、鉱山労働者が院内銀山での医療をいかに捉えていたかについて考察を行う。ここで注目する制度は「友子制度」と呼ばれる擬制的親族関係である。この制度は、下の世代への鉱山技術の伝達や若年者への社会教育などの機能をもっていたが、同時に、疾病時や老後の相互扶助を行うという機能も兼ね備えていた。つまり、鉱山労働者たちは自発的に自助的救済組織を形成することを通じて、幕府・鉱山経営者が配置した抱え医とは別の文脈・論理によって、医療へのアクセスを希求したと考えられる。そしてこのような友子制度を介した彼らの医療需要の変化を、『門屋養安日記』での受療パターンの変化のうちに見出すことができるだろう。
 このように、「抱え医」と「友子制度」という2つの医療制度を医療環境の一部として捉えることにより、医師の視点からみた医療観ではなく、藩・鉱山経営者および鉱山労働者の視点からみた医療観を提示することが本研究報告の目標である。

参考文献

一次資料

・茶谷十六・松岡精(編)『近世庶民生活史料 未刊日記集成 1・2 門屋養安日記 上・下』三一書房、1996-1997年。
・今村義孝・高橋秀夫(編)『秋田藩町触集』上・中・下、未來社、1971-1973年。

二次資料

<院内銀山史について>
・茶谷十六「解説 「門屋養安日記」の世界」茶谷十六・松岡精(編)『門屋養安日記』下、三一書房、1997年、523-543頁。
・茶谷十六『院内銀山の日々――「門屋養安日記」の世界』秋田魁新報社、2001年。
Amazon院内銀山の日々 「門屋養安日記」の世界
荻慎一郎「補論4 門屋養安と院内銀山」『近世鉱山社会史の研究』思文閣出版、1996年、598-615頁。
Amazon近世鉱山社会史の研究

<近世日本の医療史などについて>
・青木歳幸「佐賀藩蘭学再考――医学史の視点から」『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』第1号、2007年、39-60頁。http://portal.dl.saga-u.ac.jp/handle/123456789/56803
・海原亮「近世都市の「医療」環境と広小路空間」吉田伸之・長島弘明・伊藤毅(編)『江戸の広場』東京大学出版会、2005年、131-152頁。

江戸の広場

江戸の広場

・海原亮『近世医療の社会史――知識・技術・情報』吉川弘文館、2007年。
Amazon近世医療の社会史―知識・技術・情報
・菊池勇夫「第7章 飢饉と疫病」『飢饉の社会史』校倉書房、1994年。
Amazon飢饉の社会史
・塚本学「第5章 民衆知と「文明」――十八、九世紀」『生きることの近世史――人命環境の歴史から』平凡社、2001年。
Amazon生きることの近世史―人命環境の歴史から (平凡社選書)
・柳谷慶子『近世の女性相続と介護』吉川弘文館、2007年。
近世の女性相続と介護

近世の女性相続と介護