石橋悠人「経度の測定とイギリス帝国」(2013年12月7日、於:日本大学理工学部)

 日本科学史学会主催が主催する第26期(2013年度)科学史学校に参加しました。隔月でおこなわれている講演会ですが、今回は石橋悠人さん(日本学術振興会特別研究員PD/京都大学)による「経度の測定とイギリス帝国」という講演でした。会場は満員で、その参加者は40人を超えていたと思います。年齢層は高齢の方がやや多い印象でしたが、主催者によると、いつにもまして大学生・大学院生などの若い方の参加が多かったそうです。以下、簡単にそのまとめを。

石橋悠人「経度の測定とイギリス帝国」科学史学校(日本科学史学会主催)、2013年12月7日、於:日本大学理工学部
http://historyofscience.jp/?p=1207

 講演の内容は、三重大学出版会修士論文賞を受賞した『経度の発見と大英帝国』(三重大学出版会、2010年〔改訂版、2011年〕)に基づくものでした。石橋さんの問題意識は、18世紀初頭から経度測定事業が政治および軍の問題として編入されていく様子を示すことでした。キャプテン・クック(James Cook; 1728–1779)の活躍にみられるように、18世紀から太平洋に進出していくイギリスではその航海技術の飛躍的な向上がありました。とりわけ、経度を正確に測定する技術の向上があり、それは海洋時計や月距法の開発に大きく依っていました。先行研究では、その科学技術の開発者の役割がしばしば注目されてきましたが、石橋さんはそれらの開発を奨励した組織、すなわち経度委員会に注目します。そうすることで、国家と科学という観点から、経度問題の歴史を捉えようとするのでした。
 石橋さんによれば、この組織が設立される契機となったのは、1707年に2000人を超える犠牲者を出した海軍船の難破でした。それを受けて、世論ではこういった海難事故が二度と起きないよう、安全に航海をするために経度問題を解決すべきだという意見が広まりました。そして、1714年にイギリス議会は経度委員会を設置し、経度問題に2万£(現在の価値で3億円をこえるとも言われる)の懸賞をかけ、その研究を奨励したのでした。もちろん、既に17世紀終わりにはグリニッジ天文台が設立されており、そこでは経度問題の研究も進められていましたが、見るべき成果はあげられませんでした。しかし、この懸賞に対して民間からも様々な解決案が広く寄せられ、1760年前後に経度測定問題を解決する海洋時計や月距法が開発されたのでした。
 経度測定問題の解決策を示すという設立目的を果たした経度委員会でしたが、その後、海軍との連携が強められることで組織は継続することになります。そこで開発されたクロノメーターはクックの航海においても活用され、イギリスの太平洋進出を後押しします。しかし1828年になると、海軍の科学部の一部としてその組織は編入されます。その科学部には、最も主要な組織である水路測量局やグリニッジ天文台も含まれており、軍が主導する組織的な科学研究が推進されていくのです。こうして、19世紀初頭のイギリス帝国の世界進出が進められていくことを指摘し、本講演は終了しました。
 ディスカッションでは様々な論点が提出されました。とくに重要だと思われたのは、当時の国家による科学技術奨励事業のなかで、経度測定問題がどのように位置づけにあるのかという質問です。18世紀のイギリスでは、王立協会が専門性の低いジェントルマンの集まりであったこともあり、しばしば大陸に比べ国家による科学研究が低調であったと捉えられます。しかしながら、本講演で取り扱われた経度測定問題に関する懸賞は、まさに国家が科学技術を積極的に奨励しようとした一つの画期的な事例です。石橋さんによれば、この時期には経度問題の他にも科学技術の課題に対して懸賞があったようで、たとえば、農業に関する懸賞もあったそうです。しかしながら、他の懸賞よりも経度測定問題の懸賞は、その成果が最も鮮明にあらわれたものでした。その意味において、国家と科学という問題を捉える際に、経度問題に着目する意義があると説明していました。

関連文献

経度の発見と大英帝国 (学術選書)

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経度への挑戦 (角川文庫)

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