「紀ノ川」(1966年、監督:中村登)

 とある近代日本史ゼミの一環で、有吉佐和子の小説を元にした映画「紀ノ川」(1966年)を見ました。簡単にあらすじと感想を。以下、ネタバレあり。

「紀ノ川」(1966年、松竹、173分)
監督:中村登、脚色:久板栄二郎、原作:有吉佐和子

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映画 紀ノ川 花の巻・文緒の巻 - allcinema
紀ノ川 - 作品情報・映画レビュー -KINENOTE(キネノート)

 明治30年代から敗戦後すぐまでの時期を対象に、和歌山の名家へ嫁いだ主人公の半生を、その娘や孫娘、夫、義弟らとの関係性に照らしながらを描いた映画です。3時間弱にわたるやや長い映画ではありましたが、最後まで飽きずに面白く観ることが出来ました。
 旧家の長男に産まれた真谷敬策は将来、国会議員になることを嘱望された人物でした。そこに女学校を出て嫁いでいった主人公・花はそんな夫の夢を叶えるべく、個を捨てて彼に自らの人生を捧げます。大正期になり、順調に県政へと進出していった敬策でしたが、一方、娘の文緒は母の古いタイプの女性の生き方に強く反発します。物語のほとんどは母と娘の対立関係が描かれますが、事態は長らく平行線をたどったままでした。そういった緊張関係が解かれるのは、物語が最終盤に差し掛かったときです。第二次大戦まっただ中のこの時期、既に娘からの反発はやや落ち着いたものとなっていました。このとき、夫が志半ばで亡くなり、息子は妻と別れ子どももいないという状況に直面した花は、自らの人生を捧げていた真谷家をこれ以上守りぬくことが出来なくなったことを悟ります。そのような姿をみた孫娘・華子は、昭和の時代に教育を受けたために、祖母が守ろうとした家がどのようなものであったのかがわかりませんでした。そのため、祖母に尋ねます。おばあちゃんが自らの自由を捨ててまで守り抜こうとした家は、今やもう影も形もないがおばあちゃんは本当にそれで良かったのか、と。子どもの素朴で、率直で、残忍なこの言葉は祖母の胸に突き刺さります。そして花は、真谷家に伝わる家財を全て売り払うことで、家という観念との決別をはかります。なかでもそれを最も象徴的に示すのが、クライマックスに花が琴をひくシーンです。物語中、古き良き伝統をもつ気品ある女性の嗜みとして描かれ、進歩主義的な娘・文緒から強い反発を受けていた琴。しかし、最後に花が演奏する琴は、おしとやかに、伝統を守ってひくような琴ではなく、自分の思いのままにひく琴なのでした。結局、この演奏の数日後、花は倒れ、帰らぬ人となるのでした。
 このように、「紀ノ川」は明治・大正・昭和の時代毎に女性に求められた生き方を親子三世代の対比において描き出すものでした。そのような意味で、この映画は日本史とジェンダーのことについて考える授業等で観ても面白いでしょう。もちろん、旧家の慣習とそれの時代による変遷や、長男と次男の間の悲しいほどの格差を知ることができますし、歴史的事実を踏まえた記述も多くありますので、単純に日本史の授業の一環として観ても面白いでしょう。たとえば、物語の序盤〜中盤では、兄が弟に家から出て行ってもらうため、真谷家の林を全て譲渡します。兄としては林なんてそれほど価値のあるものではないため、田んぼさえ持ち続けてさえいれば良かったと思っていたのでしょう。しかし、それら農地は戦後GHQの農地改革により没収されることになり、物語終盤に真谷家が没落していくことが暗示していたのでした。

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