労働災害による身体障害区分の揺れ:長廣利崇「工業化と障害者」(2014)

長廣利崇「第4章 工業化と障害者」山下麻衣(編)『歴史のなかの障害者』法政大学出版局、2014年、133–168頁。

歴史のなかの障害者 (サピエンティア)

歴史のなかの障害者 (サピエンティア)

 本論文は、1916(大正5)年に日本で工場法施行令に基づいた障害者福祉がはじまり、1936(昭和11)年に施行令が改正されるまでの期間を一画期と捉え、その間の労災による障害のあり方が混乱していたことを指摘している。その混乱の原因となったのは、工場法施行令における障害の規定が抽象的であったことであった。つまり、その抽象性を打開するために1927(昭和2)年に発せられた「身体障害ノ程度」に関する通達が、元の工場法施行令と対立的な内容をもったがために、混乱が生まれたのである。1916(大正5)年に施行された工場法施行令の第7条では、障害が労働できるかどうかという「機能障害」によって規定されていた。それに対し、1927(昭和2)年に社会局長官名で地方長官および鉱山監督局長に出された「身体障害ノ程度」通達では、「損傷部位」による障害の判断基準が提示され、その基準が現場でも支配的となっていった。そのため、企業に勤める医師たちや暉峻義等ら産業衛生協議会のメンバーによって、両者の間の矛盾が指摘されるようになる。その結果、1936(昭和11)年の施行令改正によって、「身体障害ノ程度」通達に基づき、障害の程度をより細分化・厳密化した「身体障害等級障害扶助料表」が新たに提示されることになった。なお、この区分は現在の労働者災害補償法施行規則の障害等級表にほとんど形を変えずに残っている。