拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (6) 残された課題

 明日26日に出版される『医学とキリスト教』の内容紹介を全6回に分けておこなっています。第6回目となる今回の記事では、終章を取り上げます。

 終章では、序章で掲げた医学史とミッション史からの2つの問いに対して、本論9章の分析を通じて、どのように答えることが出来るかについて書いています。この部分については是非本書を手に取って確認いただければ幸いです。
 終章の最後では、本書で十分に取り上げることができなかったことについても書いています。たとえば、イギリスやカナダ出身の医療宣教師の活動、カトリックによる医療宣教、日本人クリスチャン医師の活動などです。私自身、最近は医療宣教師研究とは少し異なる研究プロジェクトを進めているため、このような残された課題にいつ取り組めるかはわかりません。最近では、Elisheva A. Perelman, American Evangelists and Tuberculosis in Modern Japan (Hong Kong: Hong Kong University Press, 2020)のように、日本の結核の歴史においてクリスチャンの果たした役割を分析した研究もあらわれました。こういった研究とともに、日本における医療とキリスト教に関する様々な観点からの分析が今後さらに進められることを願っています。
 また、医療宣教師に関する日本語での研究書として、最近、曺貞恩さんによる『近代中国のプロテスタント医療伝道』(研文出版、2020年)が出版されました。実のところ、日本よりはるかに多くの医療宣教師が活動した国・地域が他に多くあり、その代表が中国とインドです。今後も様々なフィールドの医療宣教に関する研究成果が出されることを願っており、その際に本書が比較の視点などを与えることが出来れば幸いです。 

  • 関連文献

 

拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (5) 戦後の医療宣教の発展

 あさって26日に出版される『医学とキリスト教』の内容紹介を全6回に分けておこなっています。第5回目となる今回の記事では、第8・9章を取り上げます。

  この2つの章では、アジア・太平洋戦争後、アメリカ・プロテスタントによる医療宣教が多様化し、発展していく様子を描いています。戦前から存在した東京衛生病院や聖路加国際病院だけでなく、戦後新たに設立された淀川キリスト教病院(大阪)や日本バプテスト病院(京都)にも注目し、分析しています。
 戦争が終わると、GHQ/SCAPによってアメリカ式の医学教育がもたらされることになります。医学史の先行研究では、GHQ/SCAPによって進められた様々な医療上の改革に関心が集まっていました。第8章では、そういった改革が進められる中、民間ではどういった対応がおこなわれたかに注目し、その事例として聖路加国際病院を取り上げました。戦後の聖路加国際病院には医療宣教師が着任することはありませんでしたが、戦前に医療宣教師トイスラーから学んだ日本人医師らによって、様々な事業が振興されました。具体的には、医師卒後研修、病院管理、看護婦養成などです。聖路加国際病院はいずれの分野でも戦前から活動実績があったので、それぞれの分野で模範的な役割を果たしていくことになります。
 第9章では、ミッションによって設立された病院が、戦後、多様化し、発展していくことを示しています。この章ではとくに医療宣教に関わった多様な医療専門職の存在を明らかにしています。具体的には、これまでの章でみてきたような医師と看護婦だけでなく、栄養士、病院管理者、医療ソーシャルワーカー、病院ボランティア、チャプレンなどです。彼らはチームとなって医療を進め、同時にチームとして宣教を進め、患者たちにキリスト教を伝えようとしました。

  • 関連文献

 

拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (4) 2つの教派の躍進

 今月26日に出版される『医学とキリスト教』の内容紹介を全6回に分けておこなっています。第4回目となる今回の記事では、第6・7章を取り上げます。 

  この2つの章では、20世紀に入って医療宣教を大きく発展させた2つの教派に注目しています。それがセブンスデー・アドベンチスト教会アメリカ聖公会です。前者が設立した病院としては東京衛生病院が、後者の設立した病院としては聖路加病院などがあります。それぞれ東京衛生アドベンチスト病院、聖路加国際病院として今日も存続しており、キリスト教系の病院としてよく知られています。1880年代半ば頃から、日本での医療宣教は厳しい時期を迎えていましたが、この2つの教派は20世紀前半に医療宣教を大きく発展させています。
 第8章で取り上げたセブンスデー・アドベンチスト教会は、神戸に神戸衛生園・神戸衛生院を、東京に東京衛生病院をつくっています。それらは水治療法というユニークな治療法で有名になりました。神戸にあった病院には著名人が多く通院・入院していました。たとえば、国際的に知られるキリスト教指導者の賀川豊彦はそこで水治療法を受けています。興味深いことに、セブンスデー・アドベンチスト教会の病院は菜食を奨励しており、この頃の賀川も菜食を実践していました。この部分は本書ではあまり深掘りしていませんが、その後、セブンスデー・アドベンチスト教会はさらに菜食を奨励していきます。同教会がつくったベジタリアン食品製造会社は、今日では三育フーズと呼ばれ、ベジタリアンの間でよく知られています。
 第9章は聖路加病院の20世紀前半の事業を取り上げます。聖路加病院は日本の歴史上で最も大きな成功を収めたキリスト教系の病院と言えるでしょう。その発展に大きく貢献したのがトイスラーという医療宣教師でした。彼はこれまでの医療宣教師の活動を踏まえ、継承できる部分は継承しつつも、これまでの医療宣教師とは大きく異なる方法で病院を発展させていきました。トイスラーの最大の特徴は、彼が様々な業界の有力者と付き合っていた点です。後藤新平(当時逓信相)、大隈重信(当時首相)、渋沢栄一ウイルソン大統領など政財界の要人だけでなく、東京帝国大学の医学部教授などともきわめて良い関係を築いていました。

  • 関連文献

 

 

拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (3) 女性宣教師の活躍

 今月26日に出版される『医学とキリスト教』の内容紹介を全6回に分けておこなっています。第3回目となる今回の記事では、第4・5章を取り上げます。

  女性宣教師に関する先行研究では、ミッションスクールの教師をつとめた宣教師に多くの注目が集まってきましたが、この2つの章ではアメリカ・プロテスタントによる日本での医療宣教の歴史において、女性宣教師が果たした役割の大きさを明らかにしています。とくに取り上げたのは医師・看護婦として働いた女性宣教師です。また、この2つの章では、女性医療宣教師・宣教看護婦による日本人女性に対する専門教育にも言及しています。そのため、明治期の女子教育・女子留学に関心を持つ方はこの章にとくに関心をもっていただけるかもしれません。
 第4章は女性医療宣教師を取り上げています。1870年代までに来日していた医療宣教師はすべて男性でした。しかし、1880年代半ば頃から、医療宣教を辞める男性医療宣教師が少しずつ出てきました。そこで、女性医療宣教師たちは、これまでの医療宣教が男性のみによっておこなわれていたことを問題視し、女性による医療活動の重要性を主張しました。1880年代から1890年代にかけて、彼女たちは函館、秋田、横浜、京都、金沢、長崎など様々な場所で活躍することになります。
 第5章は看護婦として働いた宣教師の活動と彼女たちやミッションによる看護婦養成事業に注目しています。この章は他の章とやや異なっています。これまでの章ではアメリカ人宣教師の活動に注目し、その中でも医師としての活動を中心に分析してきました。しかし、本章は看護婦をつとめた宣教師に注目し、アメリカ人だけでなくイギリス人・カナダ人も取り上げました。日本の医学界はドイツからの影響が強かったですが、本章では日本の看護界が英語圏から影響を受けていたことを指摘しています。

  • 関連文献

 

拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (2) 医療宣教の開始・拡大・縮小

 今月26日に出版される『医学とキリスト教』の内容紹介を全6回に分けておこなっています。第2回目となる今回の記事では、第1〜3章を取り上げます。

  この3つの章は1859年から1880年代半ば頃までに注目し、日本においてアメリカ・プロテスタントによる医療宣教が始まり、拡大し、そして、縮小していく過程を描いています。
 1859年からアメリカ・プロテスタントの宣教師が来日しはじめます。第1章では、最初期の医療宣教師の横浜・長崎での活動を取り上げています。その中でも代表的な人物がヘボンです。ヘボンは今日ではヘボン式ローマ字などで知られていますが、来日した頃の彼は主に医師として活躍しました。また、この頃、全国から西洋医学を学ぼうとする医師がヘボンのもとを訪れ、地元に帰って、その地域に西洋医学を広げようとしました。
 アメリカで南北戦争が終わって、日本で明治維新が起きると、アメリカから宣教師が次々に日本にやってきます。その中には多くの医療宣教師が含まれていました。第2章では、1870年代に来日した医療宣教師を取り上げています。この頃、明治新政府は西洋医学の導入に躍起になっており、地方でも各地の医師・医学生がこぞって西洋医学を学ぼうとしていました。そのような医師・医学生の中には、西洋人医師から直接医学を学ぼうと、医療宣教師のもとを訪ねた者が多くいました。
 しかし、1880年代半ば頃から、西洋医学を学んだ日本人医師が全国で増加していくにつれ、医療宣教師は日本で医療宣教をおこなう意義に疑問を感じるようになります。第3章ではこの頃に医療宣教師たちがどういった対応をしたのかを明らかにしています。ある者は日本での医療宣教を辞め、またある者は日本人医師の活動と自らの活動の差異化をはかり、自らの存在意義を何とか示そうとしましたた。続く6つの章では、どのような差異化がおこなわれたかを、様々なグループに注目し、分析しています。

  • 関連文献

 

拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (1) 本書の問題意識

 拙著『医学とキリスト教』が今月26日に出版されます。刊行まで1週間を切りましたので、今日から6日間、本書の内容の簡単な紹介をおこなっていきたいと思います。

 今回の記事では、本書の問題意識などについて、序論を中心に紹介したいと思います。
 本書は医学史の研究です。これまでに日本の近代医学史について分析してきた研究者たちは、ドイツ人医師が日本の医学界に与えた影響に注目していました。実際、東京大学医学部の前身校にはドイツ人医師が雇われ、ドイツ語によって医学が教えられていましたし、多くの日本人医師は医学部卒業後、ドイツに留学し、最新の医学を学ぼうとしました。しかし、興味深いのは、幕末から来日しはじめた西洋人医師に注目したとき、ドイツ人医師をはるかに上回る数のアメリカ人医師がやってきているということです。彼らのほとんどはプロテスタントの宣教師であり、医師として主に活動を進める医療宣教師と呼ばれる人々でした。ドイツ人医師が日本で活躍するのは20世紀の初めまでであったのに対し、彼らアメリカ人医師は20世紀に入っても、そしてアジア・太平洋戦争が終わったあとも来日し続けたました。そこで、医学史研究として本書が問うのは、「アメリカ人医療宣教師は、ドイツからの影響が大きかった日本の医学界において、なぜ活動を続けることが出来たのか」ということです。
 本書は主として医学史研究ではありますが、ミッション史、キリスト教史の研究でもあります。19世紀に入ると、アメリカやイギリスが世界中にキリスト教宣教師を送ることになります。彼らが新たにフィールドを開拓していく際、とくに活躍したのが医療宣教師たちでした。というのも、新しい土地では現地の人々はキリスト教という異教に対し警戒心を強く持ちましたが、医療宣教師は医療提供を通じ、彼らの警戒心を和らげ、うまく近づくことに成功したからです。そういった彼らの特徴を踏まえ、ミッションなどでは医療宣教師のことが「ドア・オープナー」と呼ばれることもありました。しかし、ここで1つの疑問が生まれます。確かに医療宣教師は新しい土地では先鋒として活躍していましたが、その土地でキリスト教伝道がスムーズに進められるようになったとき、医療宣教師の役割は小さくなってしまうのではないかというものです。そこで、ミッション史研究として本書が問うのが、「アメリカ人医療宣教師は、日本において宣教が進んでいく中、なぜ医療活動に従事し続けたのか」ということです。
 以上のように、医学史・ミッション史研究の観点から日本におけるアメリカ・プロテスタントの活動を分析することが本書の問題意識でした。次回からは本論を紹介していきます。

CFP: 2nd and 3rd Virtual Workshops “Women and Medicine in the Japanese Empire” October and December 2021 (JST)

8月14日に“Women and Medicine in the Japanese Empire”の第1回オンラインワークショップを無事に終えることが出来ました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

ワークショップ中にアナウンスをおこないましたが、同じテーマで第2・3回のオンラインワークショップを開催します。今回の募集では特定の日にちを締め切りとして設定しておらず、応募いただいた方のプロポーザルから随時レビューしていくことになります(発表枠が埋まり次第、募集を締め切ります)。関心のある方は是非ご応募いただければ幸いです。また、関心がありそうな方と情報をシェアしていただけるとありがたいです。

Call for Participants: The 2nd and 3rd Virtual Workshops

“Women and Medicine in the Japanese Empire

October and December 2021

Organizers: Hiro Fujimoto (Kyoto University/JSPS)/Ellen Nakamura (The University of Auckland)

No specific submission deadline (proposals are reviewed on a rolling basis)

 

ワークショップのページはこちら: 

https://genderandmedicineinjapan.weebly.com/002cfp.html

H-Net Japanに掲載されたCFPはこちら:

https://networks.h-net.org/node/20904/discussions/8086053/call-participants-2nd-and-3rd-virtual-workshops-women-and