ウィリアム・ハーヴィ研究と機械論的科学観・科学革命論:中村禎里『近代生物学史論集』(2004)

 とある初期近代医学史のゼミで、ハーヴィに関する研究文献を読んでいます。第一回目は、日本において最も早い時期にハーヴィ研究をおこなった中村禎里氏の本を講読しました。

中村禎里「III ハーヴィをめぐる人たち」『近代生物学史論集』みすず書房、2004年、103–199頁。

近代生物学史論集

近代生物学史論集


 本書第II部の「ウィリアム・ハーヴィ研究」では、近代医学・生理学の祖とされるウィリアム・ハーヴィ(1578–1657)に関する先行研究を整理し、問題点を指摘した4本の論考が収められている。なお、これらはほとんどが1960年代に書かれたものである。その時代はまだ、科学史研究者のなかでも生物学史を研究する者は少なかったし、ヨーロッパ初期近代の生物学・医学について研究する者などは著者ぐらいであった。そのため、日本語で読めるハーヴィに関する記述は、科学史の通史で少し触れられるばかりで、最新の研究を必ずしも踏まえられていなかった。つまり、本書第II部の各論文はそういった時代状況のなかで書かれたものであり、間違いなく、当時の日本における初期近代医学・生物学研究としては最も優れたものであった。
 著者が問題としたのは、当時の科学史におけるヒストリオグラフィとして支配的であった二つの見方である。第一に、ある学説が「近代科学」であるかを議論するときに、機械論的自然観の有無によってそれを判断する見方である。ハーヴィが医学・生理学の分野における科学革命の担い手であったと評されるとき、その理由としてしばしば彼の機械論的自然観があげられていた。この見方は、ハーヴィ研究者にはあまりみられないが、通史的記述をおこなった書のなかではしばしば採用されている。そこでは、ハーヴィが心臓の働きをポンプに類比させたことをもって、彼を機械論的自然観の持ち主であったと捉えられているのである。その見方に対する著者の批判は、まず、彼の血液循環説の着想(1598–1602年頃と推定されている)がガリレオが落下理論を最初に述べた時期(1605年)よりも早いために、その説が機械論から影響を受けたとは考えにくいという点である。次に指摘するのは、機械論的見方で血液循環説などを捉えるとき、その発想の部分と実証の部分とが混同されてしまっているという点である。たしかに、発想のレベルではポンプと心臓の類比は彼に影響を与えたかもしれないが、実証のレベルでは彼は「実験」によって自らの仮説を証明しようとしていた。このことから著者は、ハーヴィを近代的な医学者・生物学者たらしめているのは、そういった実験的精神であったと結論づけている。
 第二の問題が、科学革命論者たちがしばしば採用する見方で、前近代との断絶に注目するものである。たとえば、それはハーヴィの学説を完全に彼オリジナルなものとして捉える見方であるが、著者はむしろそこに前近代と連続する部分があることを強調する。たとえば、ハーヴィが議論した心臓の構造、つまりは心臓の弁の位置については、既にガレノスが同様のことをほぼ正確に記載している。また、肺循環についても、ヴェサリウスのあとを継いでパドヴァ大学解剖学教授のコロンボ(1516?–1559)の理論をハーヴィはほぼ引き継いだ形となっている。このような連続性は、理論の面にだけでなく、彼が重視した実験の面にもみてとれる。上でハーヴィが実験によって、彼の仮説を実証しようとしていたことが指摘されたが、そのときにしばしば用いられた実験とは「結紮実験」だった。それは、腕をしばって血液の循環を阻止するという実験であるが、この方法自体は古代より瀉血などの場で利用されていたものである。つまり、ハーヴィはそういった伝統的な方法を実験の一つとして用い、「いくつかの計算と肉眼でみとどけた実証」によって、自説の正しさを主張しようとしたのであった。

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