助産婦をめぐる国家と医師の思惑:Homei Aya ”Birth attendants in Meiji Japan” (2006)

Homei, Aya "Birth attendants in Meiji Japan: The rise of a medical birth model and the new division of labour," Social History of Medicine, 19(3), 2006: 407-424.

 明治期における医療専門職の再編成はめまぐるしい。伝統的な漢方医は非正規の医療者とされれば、売薬なども厳しく取り締まられ、西洋医学を学んだ者だけが唯一の医療専門職であるとされた。そして、助産婦といった専門職集団もまた、当然、西洋医たちによって駆逐されるべき存在であったのかもしれない。しかし、明治期の助産婦は、西洋医との利害対決から医療の問題とされただけでなく、明治政府の理念を実現するツールとされることもあった。
 本論文は地方の衛生課主任、そして、産婦人科医によってに著された産婆術に関する教科書を比較をおこなうことで、それぞれの空間で助産婦に求められた役割について検討している。そうすることで、助産婦の歴史を医療専門職集団内の対立の歴史として捉えるだけでなく、国家の思惑が投影される存在としても捉えうることを主張している。

 明治期におけるコレラの流行やそれに対する危機感をもっていた明治政府が、公衆衛生に対して強い関心をもっていたことはよく知られている。近代国家としての医療整備をはかった「医制」(1874年)では、西洋医のみを正規の医師と認める方針を打ち出したが、このとき、緊急的な場合を除き助産婦が活動を行うことが禁じらた。一方、1870年代末より、助産婦たちを西洋医のヒエラルヒーに組み入れるため、明治政府は助産婦への教育を開始する。そして、西洋医によりトレーニングを受けた助産婦たちを「新産婆」や「西洋産婆」などと呼び、古いタイプの助産婦と西洋医学の知識をもつ助産婦との峻別をはじめたのであった。

 このような背景のもと、まず著者が注目するのは、福岡県衛生課主任であった木戸麟によって著された『産婆手引草』(1886年)という教科書である。これは、女性に対する西洋流の産婆術を教育するために記されたものだが、当時の公衆衛生の高まりと呼応するかのように、近代的な公衆衛生観を存分に示した教科書となっている。しかし、ここで重要なのは、その教科書にはそのような西洋的な知識だけでなく、江戸時代の産科書でみられた技法もまた記されていた点である。例えば胎児や子宮の状態をみる技術として、子宮を素手で触るという「探求術」などが記されている。しかし、このような江戸時代的な技術を紹介することは、ともすれば、近代的な公衆衛生で重要な「清潔」という観念とは矛盾するのではないだろうか。にもかかわらず、この技術が教科書に記されているのは、木戸がみた地方の現状に由来していると著者は指摘する。つまり、地方では依然として医師の分娩介助を受けないことが普通であったし、あったとしても江戸時代から続く漢方医が分娩介助にあたったため、地方の実情にそうべく、近代的な公衆衛生だけでなく近世的な産婆術が並記されなければならなかったのである。このように、この時期の産婆術は、明治政府の公衆衛生という理念と、地方の個々人の現状をつなぐための手段とされたのであった。

 しかし、木戸による教科書出版から十数年経ち、産婦人科学も医学の一専門分科として確立しつつあった頃、産婦人科医によって著された教科書では、助産婦に求められる役割が大きく変わっている。例えば、榊順次郎『産婆学』(1897年)や緒方正清『新撰産婆学』(1906年)といった産婦人科医による教科書では、木戸のように伝統的な知識の部分的に保持しようとする姿勢は全く認められず、前近代的な知識の否定しか行われていない。代わりに、ドイツの古典的な産科書にある分娩の「正常/異常」を引き継ぎ、男性の産婦人科医は困難な異常分娩を、女性の助産婦が簡単な正常分娩を担うべきだとして、産婦人科医と助産婦の役割分担が明確化されるのであった。そして、そこでは木戸が助産婦に認めていた「探求術」といった行為は、厳しく禁じられている。つまり、助産婦の手が患者の身体内部に入れられることは、新しくつくられた専門職の領域を侵すことに等しかったのである。このように、産婦人科医による教科書は新しい専門職の確立を試みるものであった。そして、自らのマーケットを保持すべく、地方で跋扈する古いタイプの助産婦たちを「新助産婦」に取って代えようとしたのであった。

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