レジャーとしての動物園に対する大衆の期待、学者の思惑:伊東剛史「19世紀ロンドン動物園における科学と娯楽の関係」(2006)

 昨日、オシテオサレテにて伊東剛史さんによる19世紀ロンドンの動物園についての研究が紹介されており、非常に興味をもったので僕も便乗して氏の別論文を読んでみました。
 余暇としての動物園に着目することは、イギリス社会経済史上でも非常に斬新な視点ですが、同時にこの事例は科学史研究上でも非常に興味深い主題を含んでいると思います。なお、動物学・植物学・博物学といったトピックは帝国史研究でもしばしば取り上げられますが、ともすれば帝国史という視点のみに還元されてしまうことがあります。そのため、本論考は帝国史研究との適切な距離感を取る上で重要な参照軸になるうると思いますし、その点からも意義深い研究です。とても面白い論文でしたので、みなさんも是非一読をおすすめします。

伊東剛史「19世紀ロンドン動物園における科学と娯楽の関係――文化の大衆化とレジャーの商業化に関する一考察」『社会経済史学』71(6)、2006年、681-703頁。


 1970年代以降のイギリス社会史・経済史研究において、19世紀イギリス社会を娯楽・余暇という観点から議論する研究が大きく進展した。そのさい、学校・警察・教会・慈善などを通じて、権力・権威が自らの価値観を労働者階級に押しつけていくとする「社会統制論」と呼ばれる分析視角が注目され、H・カニンガムらによって娯楽・余暇研究にも応用された。しかしその後、その見方に対する様々な批判が提出された。たとえば、ステッドマン=ジョーンズはどんな社会制度をも社会統制という見方に還元してしまうことの単純さを批判したし、F・M・L・トムソンは支配者である中産階級の余暇文化を、労働者階級のそれと同列に並べてしまうことの問題を指摘し、余暇文化の商業化過程に力点を置い分析を試みたのであった。
 そのような研究史をふまえ、本論考は19世紀のロンドン動物園に着目し、余暇としての動物園の役割について考察している。そして、これまでの余暇研究で強調されがちだった社会階層間の排他性を批判し、それら研究で見落とされていた複数の社会階層の人々、いわば、大衆の娯楽としての動物園に注目することで、余暇文化における大衆の能動性を浮かび上がらせている。

 19世紀前半はイギリスで多くの専門的な科学団体が設立されたが、本論で注目されるロンドン動物学会もまた1826年という時期に設立されている。動物学会は他学会と比してかなり大規模であったようで、会員数は3011人(次点の地質学会は831人)で、収入・資産ともにかなり多かったようだ。他学会との相違点として特に注目されるべきは、会費の割合が比較的低かった点である。つまり、他の科学団体では、見返りを求めない会費として寄付金が献ぜられ、団体の経費に充てられていたが、動物学会ではそれに附属する動物園への入園料が収入のかなりの程度を占めていた。逆に言えば、支出の大半は動物園の運営管理費に割かれることにもなり、動物園の人気によって学会の収支が左右されていたのであった。
 このように、学会が一般見物客による入園料に依存していたという事実は、動物園の社会的役割の明確化に一役を買うことになる。つまり、大衆はその科学団体を自らが支えていると考え、ポピュラーサイエンティストのW・スウェイソンもそういった考えに乗じ、動物園は一般大衆の娯楽として提供されるべきであると主張した。実際、この種の主張は動物園人気にかげりが見え始めた1830年代後半から1840年代にかけてあらわれ、動物学会の運営を維持するためには、学術的研究の拡大ではなく教育的娯楽の充実を行うべきであると主張されたのであった。もちろん、動物園の娯楽的役割を強調する立場に対して、学術研究への傾斜を主張する立場もあった。その代表はL・リーヴという貝類学者で、彼は動物園よりも図書館などの研究施設の充実にこそ動物学会は注力すべきと訴えたが、結局、彼のような考えは学会で主流となることは無かった。
 動物園人気が下降しつつあった1840年代、動物学会はミチェルを新しい幹事に任命することによって学会の改革を断行した。1847年から改革を進めたミチェルは、これまでの動物園の入園制限をより幅広い社会階層へと開き、さらには新しい動物を積極的に買い、大衆の関心を集めようとした。そのような試みは奏功し、1847年の改革以降、動物園入場者数は着実に伸びていった。また一方で、ミチェルは学術的研究にも関心を寄せ、動物園を実験場として「気候順化」という研究課題に取り組んだのであった。
 改革が成功し、順調に発展していった動物学会であったが、1850年代に大きな論争に巻き込まれる。すなわち、同学会が救貧税を免除される文芸科学団体かどうかををめぐり、その社会的役割が法廷で問われることになったのである。当時、文芸科学団体支援法(1843年)という法律によって、諸文芸科学団体は救貧税が免除されていた。当初、動物学会もまたその団体に指定され、救貧税が免除されていたが、1840年代後半から世論で免除に資する団体かどうかをめぐって議論がおこなわれるようになった。そこで論点となったのは、第一に、動物学会が会員に与えていた動物園入園料という権利が、同法で認めていない利益の供与・分配にあたるということ、第二に、動物学会が科学的な目的よりも動物園といった娯楽的目的の側面が強いということであった。このような論点をめぐって、弁護側は科学知識普及の一側面として娯楽があるに過ぎないとして動物学会の擁護をはかったが、結局、救貧税の免除対象から同学会は除外されることになった。
 以上、19世紀ロンドン動物園という事例からは、余暇文化における大衆の存在の大きさを指摘することができるだろう。つまり、これまでの研究では興行主によって商業化されていくという余暇文化という側面強調がされがちであったが、この事例からは動物園の社会的役割を大衆が付与していく事態がみてとれる。そして、学会もまた大衆の期待にこたえようと自らの機能を形成し、双方向的な余暇文化をつくりあげたのであった。そして、救貧税免除をめぐる事例からは、「科学のための科学」であるのか、「教育・娯楽のための科学」であるのか、という動物園の役割について、科学観の葛藤を確認することができるのである。

関連文献・エントリ

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