グローバルヒストリーにおける歴史の共同性・統合性への警鐘:岡本充弘「歴史にグローバルなアプローチはあるか?」(2013)

 昨日岡本氏による新著をネットで購入したのですが、さきほど早くも届いたので一つの章をまとめてみます。国際会議での議論・報告をまとめるという体裁をとっていますので、他の章より比較的読みやすく、かつ、著者のスタンスが簡明に示されています。

岡本充弘「第3章 歴史にグローバルなアプローチはあるか?」『開かれた歴史へ――脱構築のかなたにあるもの』御茶の水書房、2013年、55–75頁。

開かれた歴史へ―脱構築のかなたにあるもの

開かれた歴史へ―脱構築のかなたにあるもの

初出:岡本充弘「歴史にグローバルなアプローチはあるか?」『歴史学研究』878、2011年、30–36頁。(特集 第21回国際歴史学会議アムステルダム大会(1))

 2010年にアムステルダムでおこなわれた国際歴史学会議において、著者は「歴史にグローバルなアプローチはあるか?」というパネルで報告をおこなっている。そのパネルはオーガナイザーのオリヴィエ・グルヌヨ(パリ政治学院)をはじめ、トマス・デイヴィド(ローザンヌ大学)、ポウル・デュエダール(オールボー大学)、スヴェン・ベッカート(ハーバード大学)によって構成されていたが、本論考はそこでの報告および議論をまとめたものになっている。著者以外のパネル参加者のグローバルヒストリー(以下GH)に対するスタンスは、いくぶんの批判をおこないながらも概ね好意的であった。たとえばデイヴィドは、ブローデルが時間や空間の複層性を指摘したことの先駆性を踏まえ、今後のGHはナショナルヒストリー(以下、NH)に取って代わるべく、「場」のあり方や多様な「モノ」のグローバル化を検討するべきであるとしている。 
 GHの有効性を認めるこれら議論に対し、著者のGHに対する態度はやや批判的である。正確に言うと、GHに好意的な反応を示す論者へ警鐘を鳴らしているといえる。著者がまず問題化するのは、GHにおけるグローブすなわち地球が、NHにおける近代国家の上位概念であると暗黙に前提とされており、それゆえ、GHはNHを乗りこえるもの、より包括的・普遍的なものであると捉えられる恐れがある点である。さらに指摘されるのは、こういったGH記述の場面において、歴史研究者の共同が進められるため、歴史の統合性や共同性を明らかにすることに方向付けられてしまいやすくなっている点である。そこで著者は、GHがNHの限界を超えていくためには重要であるとしながらも、その方向性に少しく修正を加えるべきだと主張する。すなわち、歴史を「脱共同化」し、「個人化」・「私化」していくべきであると結論づけるのであった。

関連エントリ・文献

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本書「第1章 開かれた歴史へ――言語論的転回と文化史」の初出(『歴史評論』745、2012年)をまとめたものです。


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