豪農・知識人にみる幕末・明治期における公論の連続性:宮地正人「風説留から見た幕末社会の特質」(1999)

宮地正人「第三章 風説留から見た幕末社会の特質――「公論」世界の端緒的成立風説」『幕末維新期の社会的政治史研究』岩波書店、1999年、121–154頁。

幕末維新期の社会的政治史研究

幕末維新期の社会的政治史研究

初出:宮地正人「風説留から見た幕末社会の特質――「公論」世界の端緒的成立風説」『思想』831、1993年、4–26頁。

 明治期に欧米流の新聞文化が日本で広まることにより、日本において「公論」が形成されるようになったと言われる。しかし、公論の形成は新聞メディアの誕生だけによるものではなく、前近代からの諸条件があってこそのものであった。これまではメディアの連続性に着目して、新聞を近世期のかわら版などからの発展的な進展と捉えようとする試みが多かった。しかしながら、民衆の行動様式に注目すると、幕末期から明治期にかけて、「公論」の連続的な部分が浮かび上がってくる。すなわち、幕末期に民衆が「風説留」として政治の情報を様々な経路を通じて、活発に収集していく様は、まさに明治期の公論形成の前段階的なものであると著者は指摘するのである。
 幕末期に至るまで、江戸時代における政治情報は、民衆に知られることがないよう厳重に統制されていた。たとえば、アヘン戦争をテーマにした嶺田楓江の『海外新話』という読み物は1849年に発禁となっている。そのような幕府の秘密主義に対し、少なからぬ豪農層や在村知識人は自ら情報を求めたし、彼らは情報をパブリックなものにしようと努めたのであった。たとえば、風説留『異国物語』(岩瀬文庫)では「他見をゆるさず、又一看過ぬれば捨て返へさず、是世の流弊也、かかることなくご覧の上は、速にかへし給わんことを希ふ」と記されており、情報が人々の間で共有されるべきという思想が披瀝されている。
 これはまさに「公論」の萌芽とも言えるものであるが、それが維新期に形成されつつあったことは当時の社会的な状況と大きく関連している。第一に、情報網の整備があげられるだろう。これまで三都に限定されていた交易体制が18世紀後半に全国規模のものとなり、飛脚の取次所が全国に設置されるようになった。それにより、飛脚によって物品の運送がおこなわれるだけでなく、情報の伝達も進められたのであった。そして、各地の豪農国学者ら知識人は飛脚からこぞって情報を得ようとしたのである。第二に、幕末における身分階層の動揺があげられる。この時期、豪農層が幕臣となるなどの身分的上昇がしばしば確認されはじめ、少なくともその境界部においては、幕府・藩と村落との溝は小さくなった。つまり、公的な情報に対する民衆のアクセシビリティが飛躍的に高まったのである。ただし、ここでの民衆とはあくまで村落の上位層に限られていたのであった。以上の背景のもと、幕末期に公論の端緒が確認できはじめ、明治期の新聞メディアの誕生によって、公論形成が全国にへと広まっていったのである。