疱瘡神祭りにみる信仰の商品化:香川雅信「疱瘡神祭りと玩具」(1996)
近世日本の民衆たちがもっていた疱瘡信仰に関する研究は多くあるが、それらは民俗資料を用いたものであっても、歴史資料を用いたものであっても、その疱瘡信仰をめぐる文化を単に宗教的・民俗的なものとして捉えがちであった。しかし、そういった文化もまた当時の商品文化や出版文化と密接に関連していた。そこで本論文は、疱瘡信仰における玩具に注目することで、その医療文化が当時の信仰の商品化と相まって広まっていく様を描き出そうとしている。
江戸時代、ひとびとが疱瘡にかかったとき、疱瘡神に敵対して追い払おうといった考えはほとんどなく、むしろ、縁起の良いものや遊具などによって病気からの治癒を待とうという考えが共有されていた。実際、疱瘡神祭りでは張り子で作られたダルマやミミズクが飾られたし、疱瘡患者への見舞いではそういったダルマなどの玩具や赤一色で摺られた一枚絵や絵本がしばしば贈られていた。とくに、ダルマは何度倒しても起き上がることから、病気が治ってまた起き上がることを連想させ、薬屋に好まれたモチーフであった。疱瘡にかかった子どもたちは、それらで遊びながら病気の平癒を待ったのである。
疱瘡神祭り自体は遅くとも17世紀後半にはじまったが、そこで玩具が用いられることが文献上確認できるのは明和・安永期頃からである。そして、それは当時進みつつあった信仰や宗教の商品化と時期をおなじくしている。その最初期の事例は明和3(1766)年初演の浄瑠璃『太平記忠臣講釈』にみられるし、その後も寛政11(1799)年の三囲稲荷開帳時に疱瘡除けの玩具が売り出されたことが記録されている。さらには出版文化もこの流れにさおさし、寛政3(1750)年の大坂では『疱瘡厭勝秘伝集』として疱瘡罹患時のまじないなどが記されたマニュアル本が出され、文政7(1824)年の『江戸買物独案内』ではダルマは「疱瘡第一の手遊」として宣伝されている。
こうして、時代が下っていくと、疱瘡神祭りに係る市場規模は徐々に大きくなっていく。親たちはその祭りに多くの金銭を投入することによって、子どもたちの健康を願ったのだろう。一方で、桑名藩士・渡部平大夫の日記にみられるように、疱瘡にかかった子どもは、疱瘡神が取り憑いていると親たちに理解され、その間は疱瘡神の言うことをできるだけ聞くべきという認識もあったようである。そういった考えのもとでは、疱瘡神祭りにおける玩具とは、子どもにとっては遊ぶものを得るチャンスになり、おもちゃ屋にとっては商品を売る格好のチャンスと捉えられていたのである。
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