公家に独占されていた医学知識の伝播:細川涼一「鎌倉幕府の医師」(2013)
細川涼一「鎌倉幕府の医師」京都橘大学女性歴史文化研究所(編)『医療の社会史――生・老・病・死』思文閣出版、2013年、25–44頁。
- 作者: 京都橘女子大学女性歴史文化研究所
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中世において、医学・薬学の知識は公家に独占され、空間的にも京都の施薬院に限定されていた。しかしながら鎌倉時代に入ると、その知識が京都から鎌倉へと伝播・拡散していく。鎌倉時代初期においては、将軍頼朝のまわりに医師は定住していなかったようであるが、摂家将軍である九条頼経(藤原頼経;よりつね、1218–1256)が嘉禄元(1226)年に鎌倉幕府4代将軍に就任したことを契機に、鎌倉にはじめて医師が定住することになった。すなわち、代々公家政権の医師をつとめた丹波氏の中から、施薬院使の丹波良基(1186–1240)が頼経の主治医をつとめることになり、京都に限定されていた医学知識が鎌倉へと伝わったのである。
さらに、建長4(1252)年に宗尊親王(むねたかしんのう、1242–1274)が皇族ではじめて征夷大将軍(鎌倉幕府6代将軍)になると、医学知識は公家将軍にとどまらず、北条氏に対しても供されることになる。宗尊親王のころに鎌倉にやって来たのは、当時最高レベルの医官である典薬頭・丹波長忠および玄蕃頭・丹波長世であった。『吾妻鏡』によると、長忠は宗尊親王にのみしか医療をおこなっていなかったが、一方の長世は北条氏にも医療をおこなっており、北条時頼の臨終の際には医療をおこなっている。すなわち、ここに限定されていた医学知識の伝播をみてとることができるのである。
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