リストをつくることの認知的効果:Müller-Wille & Charmantier "Lists as Research Technologies"(2013)

 5月1日(水)に迫ったIsis Focus読書会に向けて、自分の担当箇所のレジュメをつくりました。今回の特集は「リストマニア」です。なお、読書会はどなたでも、(Google+を通じて)どこからでも参加可能ですので、参加希望の方は藤本にまでお気軽にご連絡ください。詳細は下記リンクをご覧ください。(最新情報はFacebookページの方により早く更新されます。)

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駒場科学史研究会 ブログ - 5月1日 Isis, Focus読書会#8 リストマニア

Staffan Müller-Wille and Isabelle Charmantier, "Lists as Research Technologies," Isis, 103(4), pp. 743-752.
http://www.jstor.org/stable/10.1086/669048
※ 上記リンクから無料閲覧・DL可能

 本特集 「リストマニア」の各論文では、科学史におけるリストの役割は知識を簡潔に保存したり提示したりする手軽な手段であると捉えられていた。一方、本論文ではリストにより能動的な機能を見いだそうとする。すなわち、リストが研究を可能にするテクノロジーであると捉えるのである。その際、本論は歴史人類学者のジャック・グッディの議論を援用し、リストをつくることの認知的な効果を明らかにしようとする。グッディはシュメール人が様々な語彙のリストを石版に残した営為を「リスト科学」と呼び、リスト科学がひとびとの認知に与える二側面を指摘する。すなわち、リストは記録を積み重ねることを通じて人びとによる操作を促すが、それにより一方では分類方法が具体化され、もう一方ではその分類の枠内に思考が閉じ込められてしまう。本論文はこのような両義性を踏まえつつ、スウェーデンの自然誌家カール・リンネ (1707–1778)に着目し、彼の研究遂行にあたってリストが積極的な役割をもっていたこと、そしてそれが後の彼の研究を部分的に制限したことを明らかにしている。
 リンネは若い頃より身の回りの事柄をリスト化して残していたが、そのような行為は彼の植物調査の場面でも大いに役立っていた。会計において、日々の取引日記帳から複式簿記として取引内容を分類するように、リンネもまた植物の日々の調査日誌に基づいて彼の研究目的に適ったリストを再生産していた。たとえば、1728年におこなった植物の調査では、植物の種を時系列順、地形毎に並べたリストがつくられていたが、その調査に基づいて翌年に記された原稿のリストでは、花弁の数・配置によって種が再分類されている。つまり、リンネはリストの再生産によってある特定の目的を果たそうとしていたのである。同時に彼は、既に他の学者が確立した様々な基準に基づきながら、植物をリストのなかに分類していた。そして、そのような試行錯誤を通じて、既存の分類に基づく限定的な命名法を乗りこえるために、彼独自の方法を考案しようとしたのである。なお、そういった試みは1730年の講義録に見て取ることができる。
 リンネはまた、紙やノートをうまく使いながら独自の調査方法を発展させた。まず、前もってそのノートに植物の属といった特定の分類学上のユニットを書き記し、その後には空白のページが並べられる。そして、調査によってみつけたことを一つずつその空白に書き込むことで、形態、植生分布、用途(医療用や商用)といったその属の特徴を積み上げていくのである。リンネはこのような方法を「自然的方法の断片(fragments of a natural method)」と呼んでいる。
 このリスト作りという方法は新たな研究アジェンダを生みだし、また一方で研究を制限することになる。リンネは『植物哲学』(1751年)において植物の分類学上の関係を描き出そうとしたとき、植物間の直線的・階層的な関係ではなく、それらの間の相互類縁を示そうと試みた。『植物哲学』の原稿をみると、そこには手書きの注釈が多く書き込まれ、ある属を「自然的秩序(ordo naturalis;今日で言う「科」)」のなかに挿入したり、そこから削除したり、あるいは前からある自然的秩序の前後にくっつけたりと試行錯誤していることがわかる。しかし、リンネはリストを用いることに固執したため、類縁の研究方法を改良することができなかった。その後、リンネの生徒でもあったPaul Dietrich Giseke(1741–1796)はリストではなく、種の特徴を系図的・地理的にマッピングするという方法を採用し、植物の類縁関係を描こうとした。これをきっかけに、19世紀初期の植物学者たちは類縁関係を示すために、マッピングという表象方法をより用いるようになる。この事例からもわかるように、その変化を引き起こしたのは、植物学におけるパラダイムの変化だけでなく、リストからマップという表象の媒体の変化なのであった。

参考(Gisekeによる植物類縁の系図学的・地理学的表)


出典:Carl Linnaeus, Praelectiones in ordines naturales plantarum, ed. Paul Dietrich Giseke (Hamburg, 1792: 623).