「国立」の上野動物園における戦利動物のディスプレイ:木下直之「展示される戦利動物」(2009)

木下直之「展示される戦利動物」川口幸也(編)『展示の政治学水声社、2009年、83–102頁。

展示の政治学

展示の政治学

 今日の日本には国立の博物館は多くあるが、国立の動物園は存在しない。日本にある動物園は基本的に各自治体の公園課がもっており、最も有名な上野動物園もまた東京都立の動物園である。しかし、この上野動物園は戦前のある時期において「国立」であった。本稿は、日清戦争後に勢力を広げていく大日本帝国が、「国立」の上野動物園に戦利動物のディスプレイの場所という機能を付与していく歴史を論じている。
 上野動物園のはじまりは東京国立博物館の歴史と深く関連している。東京国立博物館の歴史それ自体は明治5(1872)年に湯島聖堂でおこなわれた「博覧会」にまで遡ることができるが、博物館の建物が現在の上野に移ったのは明治15(1882)年であった(なお、当初それは単に「博物館」と呼ばれていたが、明治22年に帝国博物館となった)。その移設は、幕末にイギリス留学し、大英博物館と現在のヴィクトリア&アルバート博物館を見学した町田久成(1838–1897)の建言に基づきおこなわれた。この新しい博物館は農業山林部、芸術部、教育部などの部門からなっていたが、その筆頭に掲げられたのが天産部であり、そこに動物園が組み込まれていた。上野動物園はこのときに開園したのである。
 上野動物園は当初国内の動物の展示が中心であったが、明治19(1886)年に博物館が宮内省へ移管されたことに伴いその役割が変容していく。とりわけ、日清戦争以降は戦争で獲得した外国の動物を展示する場所として期待されていくことになる。明治期後半に大日本帝国の版図が広がると、戦地で発見された珍しい動物が皇室に献上され、それが上野動物園に下附されるようになった。たとえば、日清戦争では戦利動物としてラクダが動物園に献上されたし、「旅順」などのような戦場の舞台の名前が付けられた馬が献上されている。戦利動物の数が次第に多くなった明治30(1897)年、宮内省はそれらをまとめて展示するよう動物園に命じた。そして、翌年に園内につくられたのが「戦利動物飼育区画」というコーナーであった。つまり、動物園という空間においても戦争での勝利を大衆に示すことが目指されたのであった。