第3回秋田県鉱山サミット「秋田県の鉱山に見る歴史」(秋田県鉱山資料館等連絡協議会・日本鉱業史研究会共催 於:秋田大学鉱業博物館)

 秋田に史料調査に来ているのですが、秋田県の鉱山関係者(関連施設職員や技術者、歴史研究者、地域団体など)による市民向けの講演会が、秋田大学鉱業博物館で行われていたため一部聴講してきました。講演会は50名ほどの方が参加され大盛況でしたが、以下では特に鉱山史研究に関する4つの報告について、簡単にまとめたいと思います。

第3回秋田県鉱山サミット「秋田県の鉱山に見る歴史」
秋田県鉱山資料館等連絡協議会・日本鉱業史研究会共催
2012年9月13日、秋田大学鉱業博物館

進藤孝一「明治初期の荒川鉱山」
荻慎一郎秋田藩領八森銀山の研究」
井澤英二「黒澤元重が記録した鉱山――秋田藩と周辺地域」
成田裕一「菅江真澄と鉱山のデジタル記録」


 最初は日本鉱業史研究会に所属する進藤孝一さんの「明治初期の荒川鉱山」でした。発表では、明治前期に秋田の荒川鉱山鉱山の経営と鉱山町の建設に尽力した、瀬川安五郎(1835-1911)の活動についての報告が行われました。1873(明治6)年に岡田平蔵から県に対し荒川鉱山の払い下げが行われましたが、1876(明治9)年に瀬川は荒川鉱山を稼業したい旨を工部卿に提出し、稼業が許されました。そして、稼業をはじめてから4年間は相次ぐ大鉱脈の発見によりゴールドラッシュとなりましたが、そのことはより多くの鉱夫が必要となることを意味しており、瀬川は鉱夫とその家族のために教育・厚生事業を整備していくことに取り組み始めるのでした。とりわけ、1878(明治11)年に私立大生盛学校を創設し、1883(明治16)年に医療処および鉱夫の浴室を設立したことは、瀬川の鉱夫やその家族の生活環境に関する多大な配慮・関心のあらわれであると進藤さんは指摘していました。


 次は、高知大学教授の荻慎一郎さんによる「秋田藩領八森銀山の研究」でした。荻さんは鉱山の社会史という研究領域では第一人者と言える存在で、その著『近世鉱山社会史の研究』(思文閣出版、1996年)は小葉田淳『日本鉱山史の研究』(岩波書店、1968年)と並んで基礎的な文献であると言えるでしょう。実際、僕も近世の鉱山については、この両書から多くを学んでいます。
 さて、今回の荻さんの発表は、秋田藩領の八森銀山に関するものでした。八森銀山は、現在の秋田県八峰町にあり、世界遺産の白神大地のあたりです。1602(慶長7)年に佐竹氏が入封する以前より、八森銀山の開発は行われていたと考えられていますが、江戸時代を通じて盛衰を繰り返しながらも継続して稼業が行われていた数少ない鉱山の一つです。にもかかわらず、規模の大きさ故か、大葛金山のように有名でもなければ、これまでも先行研究が多くないため、本報告では八森銀山の基礎的な事項が紹介されました。その紹介からわかることは、17世紀初頭に開発、その後に産銀高が減少、そして再開発の試み、という近世の鉱山がたどった一般的な歴史と共通しているということでした。


 次は、九州大学名誉教授で、日本鉱業史研究会の会長である井澤英二さんによる「黒澤元重が記録した鉱山――秋田藩と周辺地域」でした。16世紀初頭以降、石見銀山の再興をきっかけとして、日本の産銀量は大幅に増加していくことになりますが、その際に重要だったのが、「近世鉱業上画期的な意義をもつ」(小葉田淳)新しい製錬法の誕生でした。その技術は17世紀には佐渡の鶴子や秋田の院内にも伝えられることになりますが、この院内銀山の山奉行をつとめた黒澤元重は、この新技術のことを現場でしっかりと学びました。その後、惣山奉行となった黒澤元重は、1691(元禄4)年に日本最古の鉱山技術書『至宝要録』を著し、それにより江戸時代初期の鉱山技術が今日でも知ることが出来るのでした。


 最後は秋田大学名誉教授であり、日本鉱業史研究会でもある成田裕一さんの「菅江真澄と鉱山のデジタル記録」でした。成田さんは長年電子機器学やプログラミングの研究を行っており、今回はそこでの知見を活かしながら、江戸時代の紀行家・菅江真澄(1754-1829)と鉱山に関するデータベース化の作業について報告されました。この作業は大変気の遠くなるようなもので、『菅江真澄全集』(全13巻)を中心に、菅江真澄の関連文献から彼と鉱山とに関わる文章を抜き出し、それを手入力し、データベース化するというものです。作業は現在も続いていますが、成田さんのHPからはキーワード・表題の一覧を閲覧することが出来ます。また、秋田県立博物館・菅江真澄資料センターでは、このデータベースが試作版としてPCに入っているようで、検索・閲覧が可能とのことでした。このような電子データベースの構築・共有は非常にありがたいものですね。

関連リンク

・第3回秋田県鉱山サミット「秋田県の鉱山に見る歴史」 ポスター
http://www.mus.akita-u.ac.jp/news/img/24/H24kouzansummit.pdf
日本鉱業史研究会 ホームページ
http://kogyoshi.sakura.ne.jp/

・黒澤元重『至宝要録』1691(元禄4)年、九州大学所蔵。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/search/details.html?seq=6#
九州大学デジタルアーカイブズより、原本の閲覧が可能です。

・「菅江真澄と鉱山」成田裕一氏 ホームページ
http://www.ndbs-ahps.jp/narita/a42/a4203.htm
データベース「菅江真澄と鉱山」に関するキーワード・表題の一覧が閲覧可能です。
秋田県立博物館・菅江真澄資料センター
http://homepage3.nifty.com/akitamus/kannai/masumi/masumi.htm
データベース「菅江真澄と鉱山」が館内のパソコンから検索・利用可能です。

参考・関連文献

近世鉱山をささえた人びと (日本史リブレット)

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近世鉱山社会史の研究

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日本鉱山史の研究 (1968年)

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あきた鉱山盛衰記

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秋田県の歴史 (県史)

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