更生意欲のない者の発見とそれへの不信感:植野真澄「「白衣募金者」とは誰か」(2005)

 戦傷病者とその家族の労苦を伝えることを目的とした資料館「しょうけい館」に行って来ました。興味深い展示品が多く、非常に素晴らしい資料館でありました。ということで、そちらで学芸員をされている植田真澄さんの論文を簡単にまとめてみました。

植野真澄「「白衣募金者」とは誰か――厚生省全国実態調査に見る傷痍軍人の戦後」『待兼山論叢 日本学篇』39、2005年、31–60頁。
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/handle/11094/10919
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 戦後、恩給を十分に受けることができない傷痍軍人たちは、白衣を着て街角に出、人々から募金を募っていた。白衣募金者と呼ばれるこのような人々に対し、ある者は傷痍軍人の名誉を傷つけるものであるとし、またある者は彼らが仕事に復帰しないままでいることを訝しがった。本論文は、戦後、厚生省がおこなった白衣募金者の調査に注目し、彼らの置かれていた境遇を明らかにすると同時に、この調査によって人々の白衣募金者に対する不信感が形成されていく様子を描き出している。
 戦前、傷痍軍人たちは医療費の一部あるいは全額免除を受けることができていたが、戦後、1947年に入院規定が改正されその負担が増加したことにより、自らが生きていく環境が脅かされるようになった。そのため、生活費・入院費を稼ぐために、国立病院に入院していた一部の傷痍軍人たちの一部が、街頭に出て募金を募るようになった。なお、戦前の陸海軍の病院着が白衣であり、その病院が国立病院に引き継がれたことから、白衣は軍人であったことの象徴として機能していた。白衣募金者の登場を受けて、一部の自治体はその禁止などを規定したが、結局、国家レベルでそれらへの対応が講じられることはなく、1952年に「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が制定されてやっと傷痍軍人への救護が可能になった。たとえば、厚生省は労働省と連携し傷痍軍人に職業斡旋をするなどの対応を協議した。また、1953年11月には白衣募金者の実態を把握し、彼らへの福祉と更生援護対策の推進をはかるために、厚生省社会局が白衣募金者の調査をおこなったのである。
 しかし、この調査によって白衣募金者ひいては傷痍軍人たちに対するある種のネガティブな感情が生まれることとなる。すなわち、白衣募金者には戦傷によって障害をもった軍人たちだけでなく、戦前は職工や農家であった者までが含まれており、健常者でありながらお金を稼ぐために白衣を着て募金を募るという、いわば偽者がいることが明らかになったのである。そういった調査結果は商業新聞でも取り上げられ、全国での白衣募金の推計は1000人、そのうち偽者が50〜60人であると報じられた。さらに、新聞は一部の白衣募金者が百万長者となったと報じたり、募金を辞めない理由を挙げたりして更生意欲の無いものを誇張して表現したりするなどして、単なる同情による募金は彼らの更生を妨げるという論陣を張った。結果として、厚生省による白衣募金者の調査は更生意欲のある者とそうでない者を峻別すべきであるという姿勢を社会に生み出すことになったのである。こうして、人々の間に白衣募金者に対する不信感が募っていくことになった。