とあるアメリカ人医療宣教師たちの履歴:佐伯理一郎「幕末及明治に於けるアメリカ醫師の活動に就いて」(1950)
佐伯理一郎「幕末及明治に於けるアメリカ醫師の活動に就いて」『基督教研究』24(1)、1950年、69–76頁。
http://jairo.nii.ac.jp/0027/00021615/en
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幕末から明治初年に日本にやってきたアメリカ人医療宣教師たちの履歴を紹介したもの。昭和23年3月3日におこなわれた日本医史学会関西支部例会(於大阪府立図書館)での講演を元にし報告となっている。佐伯理一郎(1862–1953)は京都にある佐伯病院の院長で、講演時は89歳であった。自身がクリスチャンであったこともあり、アメリカ人医療宣教師たちとも深い交流があり、本講演ではヘボン(1815–1911)、ベリー(1847–1936)、テイラー、ホイットニー(1855–1918)という4人の人物が紹介されている。
前二者については比較的知られるところなので、以下ではテイラーおよびホイットニーについて。アメリカン・ボード宣教師のテイラーは明治7年に神戸にやって来たが、ちょうどベリーがいたこともあり、彼は姫路の士族屋敷を借りて医療活動をおこなった。明治12年からは大阪に移ったと考えられ、居住していた大阪の川口居留地において眼科や外科、場合によっては産科もおこなっていたという。また、明治18年7月に中河内稲田村が大洪水に見舞われたとき、氏は同地での救護活動に奔走している。さらには、明治24年の濃尾大地震および同年の福知山大洪水においても同様に積極的に社会事業をおこなった。
アメリカン・フレンド宣教師であったホイットニーはもともと電気学を専門としていたが、明治8年に横浜にやって来たことでヘボンから医学を学び、のち、金沢に移ってからは独学で医学の勉強を続けたという。そして、東京医学校に外国人としてはじめて入学し、明治13年に卒業している。明治16年より米国公使館の通訳官をつとめながら、赤坂病院で眼科医として働き、さらに教会の活動や社会事業をおこなっている。高木兼寛が設立した成医会にも積極的に協力し、明治24年の濃尾大地震のときには赤坂病院から救護班を組織し、自ら班長となり医療をおこなった。
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