「宣教医ヘボン――ローマ字・和英辞書・翻訳聖書のパイオニア」横浜開港資料館


 横浜開港資料館で開催中の「宣教医ヘボン」へ行ってきました。米国長老派教会系の医療宣教師であるヘボン(James Curtis Hepburn, 1815–1911)の展示が横浜開港資料館でおこなわれたのは、1983年の「ヘボンと横浜」展以来、実に30年ぶりのことだそうです。今回の企画展は、自館所蔵のヘボン関係史料をはじめ、他館からも多くの史料を借りており、非常に充実した展示でした。土曜日の夕方に観覧したこともあってか観覧者がとても多く、僕がいた1時間弱の間に50人以上は訪れていたと思います。以下、簡単に報告記を。

横浜開港資料館平成25年度第3回企画展示「宣教医ヘボン――ローマ字・和英辞書・翻訳聖書のパイオニア」2013年10月18日〜12月27日、於:横浜開港資料館企画展示室。
HP:http://www.kaikou.city.yokohama.jp/news/index.html

 
 メインの展示は年代順に、「1 来日までの道のり」、「2 神奈川での暮らし」、「3 生麦事件」、「4 居留地での暮らし」、「5 『和英語林集成』の編纂(1)」、「6 『和英語林集成』の編纂(2)」、「7 翻訳聖書の誕生」、「8 医師ヘボン」、「9 ヘボンと医療」、「10 学校の創設」、「11 教会の設立」というパートによって構成されていました。それに加え、「ヘボンと商人」、「ヘボンについての著作」、「ローマ字(1)・(2)」、「ヘボンの著作」、「帰国と晩年」、「『和英語林集成』を読む」というトピック別の展示がおこなわれていました。
 本展示の特徴は、そのタイトルにもあるように医師としてのヘボンの活動に注目した点があげられるでしょう。ヘボンといえば、「ヘボン式ローマ字」として有名であり、日本で初めて和英辞典を編纂した人物としてもよく知られています。そういった側面ばかりが注目されがちなヘボンですが、彼は医師であり、神奈川で医療活動をおこなっていたのでした。医師としてのヘボンの活動を示す展示資料としては、まず、「2 神奈川での暮らし」で示された藤井家文書「御触書并用留帳」(神奈川県立公文書館蔵)があげられるでしょう。安政6(1859)年に横浜へやって来たヘボンは、文久元(1861)年4月から宗興寺で診療活動を開始します。それに伴い、神奈川奉行が同年7月にヘボンから施療を受ける際の御仕法を定め、神奈川宿の役人にそのことが通達されましたが、本史料はその請書の控えです。他にも、「4 居留地での暮らし」では慶応元(1865)年の佐倉藩の蘭医・佐藤泰然(1804–1872)による書簡(順天堂大学蔵)が展示されており、そこには五男・信(のちの政治家・林董(1850–1913))への教育をヘボンへ依頼していたことが記されています。「8 医師ヘボン」に展示されていた橋本周延画「ヘボン氏手術図」(杏雨書屋蔵)には、慶応3(1867)年にヘボンがおこなった歌舞伎役者・三代目沢村田之助(1845–1878)の右足切断手術の様子が描かれています。「9 ヘボンと医療」では、三河国加茂郡福田村で代々眼科医を営んでいた酒井家の12代目・利泰(1867–1924)の書簡(みよし市歴史民俗資料館蔵)が展示されていました。利泰は横浜・十全病院に入塾し、明治8(1875)年5月から翌年5月までヘボンやシモンズから眼科を学びました。しかし、利泰が明治8(1875)年11月に田舎の兄に宛てた手紙には、入塾してかなり時間が経つのに、眼科の手術を一件も経験できないことに対する不満が記されています。
 もちろん本企画展示では、医師としてのヘボンについてだけでなく、日本時代の彼の活動を偏りなく紹介しています。たとえば、ヘボン夫人クララが創設したヘボン塾を源流にもち、今年で開校150周年を迎える明治学院の設立についても紹介されています。また、『和英語林集成』を実際に読んでみるコーナーもあり、横浜開港資料館旧館記念室で同時開催中の「世界の辞書『和英語林集成』」とあわせてみると、『和英語林集成』についてのよりより理解が進むことでしょう。なお、全64頁の展示図録『宣教医ヘボン――ローマ字・和英辞書・翻訳聖書のパイオニア』も販売されており、それには124点の史料の写真およびヘボンの略年表が収録されています。

関連リンク・文献

http://www.city.aichi-miyoshi.lg.jp/shiryoukan/toshiyasu.html

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