動物の魂をいかに描くか:Cohen "Searching the Animal Psyche with Charles Le Brun"(2010)


 金曜日に迫ったAnnals of Science読書会「特集:初期近代における動物の表象」に向けて、自分の担当文献をまとめました。なお、研究会詳細については下記リンクをご覧ください。

Annals of Science「特集:初期近代における動物の表象」読書会

Sarah R. Cohen, "Searching the Animal Psyche with Charles Le Brun," Annals of Science, 67(3), 2010, pp. 353–382.

 フランスの宮廷画家であったシャルル・ルブラン(Charles Le Brun, 1619–1690)は、実際の動物の観察することで動物を描き、そこから想像することで人間の形をした架空の動物を描いた。この時代、人間と動物の境界をめぐる論争が盛んにおこなわれており、ルブランはそういった図像を描くことで、動物の魂を示そうとした。本論文は、そういったルブランの活動を、同時代人のジョン・ロック(John Locke, 1632–1704)の思想と関連づけて論じている。
 ルブランの絵画の特徴は「人相学」であった。すなわち、動物や人間の頭部だけを抜き出して描いていたのである。それらを描く際には、フランドルの画家ボエル(Pieter Boel, 1626–1674)が実物をもとにして描いた絵を大いに参考にしていた。さらに、ボエルが動物の部位を断片的にしか描かなかったのとは異なり、ルブランは動物の頭部の全体を純粋化して描いた。この正真正銘の視覚的模造品という媒介を通じて、ルブランは自然の探究をおこなおうとと考えたのである。その際、動物の本性はどのように示すことができるかという問題に彼は直面した。そして、この問題に取り組むために彼が参考にしたのは、デッラ・ポルタ(Giambattista della Porta, 1538–1615)の方法であった。デッラ・ポルタは人間や動物の見た目を詳しくみることで、それらの本性を探ろうとした。また、人間と動物を横に並べてその類似性を見出そうとし、人間と動物は身体的にも精神的にも連続的であると捉えていた。このような議論をその翻訳書で学んだルブランは、動物と人間の類似性に着目し、動物それ自体の特徴、あるいは動物の魂を動物の頭に注目することで示そうとした。
 ルブランは1668年に人間と動物の比較人相学に関する講演を王立アカデミーでおこなった。しかし、彼の原稿などは残っておらず、彼がそこで実際にどのようなプロジェクトを示したかは詳らかではない。だが、その講演を記録に取った二人の人物によるノートが残されており、そこからは、おぼろげながらもルブランのプロジェクトのねらいが浮かび上がってくる。たとえば、ルブランの絵には動物の目・鼻・口・耳を三角形で結んだ図像が多く描かれているが、その図形の特徴からは動物の知性の高低が導き出されると考えられた。あるいは、頭の形からは動物の力の程度が示されるとも捉えられた。実際のところ、これらがどれほど実際にルブランが意図するところであったかはわからない。しかし、彼が題材かつ創造力を刺激するものとして、動物に純粋な関心をもっていたことは確かである。さらに言えば、彼は動物を知覚のある主体と捉えており、人相学上、動物の感覚器官に重要な位置づけを与えていたのであった。
 では、なぜルブランは動物に対してこれほどまでに大きな関心を寄せたのだろうか。それは、デカルトの議論に代表されるような、動物と人間の区別に関する当時の議論と関わっている。ルブランは講演に際してデカルトの『情念論 Les passions de l'ame』(1649年)を参考にしていたと思われるが、動物に対する考え方は彼と意見を異にした。すなわち、デカルトは人間だけが魂の情念をもつと捉えたが、ルブランは動物にも知覚意識があると考えたのである。また、ルブランは人間と動物を連続的に捉えたが、そういった考えは当時の動物の魂に関する議論から多くを学んでいたと言える。とりわけ、キュロー(Marin Cureau de La Chambre, 1594–1669)は動物の知性に関する著作を書くなど、ルブランの主張に合うような議論を多くおこなっている。ルブランは、キュローが動物意識と呼んだものを、動物の頭と感覚器官を結んだ三角形を描くことで表現しようとした。その際、ある一つの種の動物を、細部を微妙に変えながら複数描くことで、動物の魂を表現しようとした。とりわけ目の描写には注意を払っており、目の表現を通じて、その感覚器官の背後で魂が活動していることをほのめかそうとしたのである。
 このようにして動物の魂を描こうとしたルブランであったが、それら以上に観る者に大きな衝撃を与えるのが、それらの動物に並べられて描かれた人間の形をした動物である。そして、まさに人間のような動物が、視覚による分類の限界を示すことになった。ルブランは実物をモデルにして動物を描き、それに基づき人間のような動物を想像で描いていた。つまり、人間のような動物は現実を模したものではなく、そのために、それらにルブランが動物に適用していたような三角形の図や人間の情念を描いた略図を適用することはできないということになる。同様の困難は、ロックが『人間悟性論 An Essay concerning Human Understanding』(1689年)で取り組んだ問題にも見てとれる。ロックは、種といった自然界で真実とされているものは我々の創造物にすぎないと捉え、視覚だけで人間や動物などの自然を規定・分類することの難しさを述べている。たとえば、いくら人間のようにみえても白痴を人間とは呼べないし、動物のなかには知識や理性をもったものがいるかもしれない。このような唯名論的な議論に即して、ルブランが描いた人間のような動物をみてみると、それらがいくら元々は現実の動物に基づいて描かれたとしても、あくまで人間によって名付けられた本質を表象しているに過ぎないということになる。以上のことからは、ロックとルブランははからずも同じ時期に、白痴と人間のような動物を事例にして、動物や人間の視覚による分類とその限界について論じていたのであった。

関連文献

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